やまと言葉がクレオールタミル語であることの論証

古典研究サイト 埋れ木

謎の万葉集

2016-05-13

「ところで和泉式部なんか読むとはっきりしますが、和歌というのはたいへんエロチックなことをうたうのが本筋だと思うんですよ。
さらに言えば日本の文学の伝統をずっと見てみると、エロチックなことへの関心が非常に大きい。つまり、花とか紅葉とかを詠んでも、それがすぐエロチックなことに引っくり返る」
(「丸谷才一文芸閑・・・


第一節 額(ひたい)に双六(すごろく)が生えている?
拙著「ささがねの蜘蛛」(絶版)でも一度取り上げた課題ですが、もう少し磨き上げてみました。源氏物語は好色源氏物語といってもいいほど、エロチックです。光源氏という名前自体が変です。以前からこの名前が引っ掛かっていました。本文を読みますと、高麗の僧がそう名付けたなどと書かれていますが、私は、この「ヒカリ」というのはタミル語vikAr-i[好色である(to be sensual)](v/f対応)に由来するのではないか、と確信しています。ただ、光源氏が好色であるという事実以外には、何の手がかりもないのが残念です。

タミル語にnoT-i[謎(riddle),不可解なもの(enigma)]という語があります。これは日本語naz-o(ナゾ)と対応します(o/a対応、弾音の-t-/-d-/-z-対応)。ナジとも言います。「何(など)」も同源だと思いますが、時代別国語大辞典上代編では、ナドはナニ・トの約としています。私は「奈何(なぞ)・なぜ」も同源ではないか、と思いますが、一般的には「何・ソ(係助詞)の約まったもの」と解釈されて今日に至っています。
この章では、万葉集でもナゾ中のナゾと私が思う歌を取り上げます。
よく「難訓歌(なんくんか)」というものは研究の対象とされることはありますが、本章のような歌は、上古の人々が行なった内々の謎かけごっこだから、分からなくて当然と思われてか、それで済ま(スルー)されている節(ふし)があります。

万葉集に次のような不思議な歌が残されています。
「我(あぎ)妹子(もこ)が 額(ぬか)に生ひたる 双六(すごろく)の 事負(ことひ)の牛の 鞍(くら)の上(へ)の瘡(かさ)」(万葉集3838)。
「我が背子(せこ)が 犢(た)鼻(ふ)褌(さぎ)にせる つぶれ石(し)の 吉野(ゑしの)の山に 氷魚(ひを)そ下がれる」(万葉集3839)。

この歌が出来た事情は、万葉集自体に書かれています。
「右の歌は、舎人親王(とねりしんのう)、侍(もとこびと)に令(のりご)ち給(たま)はく、もし由(よ)る所無き歌を作(よ)む者有らば、銭帛(ぜにきぬ)を賜(たば)らむとのりたまへり。時に大舎人(おほとねり)安倍(あべ)朝(あそ)臣子(みこ)祖父(をじ)、乃(すなは)ち斯(こ)の歌を作(よ)みて献上(たてまつ)る。登(とき)時(に)募(つの)る所の銭二千文(ふたちち)給へりき」。

つまり、意味の分からない歌を詠ったら褒美を与える、と舎人親王が周囲の人たちに言ったわけです。それを聞いた安倍朝臣である子祖父という人物が上記のような二首の歌を作りました。またそれが実に良くできている。舎人親王は思わず唸(うな)ったのでしょう。そこで銭二千文という大金を皆から集めて褒美として与えた、というわけです。

侍(もとこびと)とは本来、「左右」と書かれる語で、左右に侍っている側近のことを言います。「許(もと)処(こ)」が原義と言われます。
「朝臣」というのは、八色(やくさ)の姓(かばね)の第二位に位置します。多くは皇別(天皇に通ずる血筋のある皇族の身分を離れ、臣下となった者)の氏(うぢ)に与えられます。

「やくさ」の「くさ」というのはタミル語kuz-am[群れ(swarm)]に由来します。「や」はタミル語Eの古形*ya「弥」であり、「沢山」あることを意味します。ここでは「いろいろある姓」と言ったところでしょう。庶民を民(たみ)草(くさ)と言う場合の「くさ」も同様です。けして、人々を植物の草に譬えたわけではありません。

すなわち、「天皇の臣」ということで、正式には「あそみ」と読みますが、後に「あそん」と言われるようにもなりました。
at-iというタミル語があります。「この上なき支配者(supreme ruler)」とか、「天皇・皇帝(emperor)」という意味があります。この語単独で対応する日本語は消失しました。しかし、また他方で、am-inという語があり、これは「信任の厚い役人・将校(confidential officer)」、あるいは「役人(a public officer) 」を意味します。日本語でいう「臣(おみ)」にこの語は対応(a/o対応)しています。そうすると、このati>asi+ominで「あしょみ」から「あそみ」となった、と思われます。大王の信任が厚い役人という意味となります。
朝臣の一段下のランクを宿禰(すくね)と言います。少兄(スクナエ)の約という説もありますが、これはおそらくタミル語cukun-am[高貴な人(noble character))との対応かと思われます(c/s対応)。

さて、ここに「歌」という言葉が出てきます。この「うた」はタミル語ic-aiがi/u交替、-c-/-t-対応したもので、日本語「歌」「歌ふ(to sing)」と意味もよく対応します。
タミル語のic-aiにはまた、「言葉で表現する(to express)」という意味がありますが、日国辞典によると、「歌」の意味として、やはり「物を言う。話す」という意味があり、「新編常陸国誌」(1818~30頃)に「うたふ 語(かたり)話(ばなし)するを云ふ、古意なり」と注記されています。つまり、この意味でもタミル語ic-aiと日本語ut-aは対応しているわけです。方言ではさらに「オタ」(石川県、鳥取県)ともなっています(日本語内部でu/o交替)。
沖縄県竹富島方言では、歌うことをイジュン(ij-un)といいます。これはタミル語ic-aiとよく対応します。とすると、当初は歌を「イタ」と言っていた可能性も少なからずあります。ですから青森や秋田のイタコも、歌子ということであったようにも思われます。「物を言う子」(この「子」は指小辞)あたりでしょうか。
さて、いよいよ本題に移ります。

舎人親王は天武天皇の御子(第三皇子)とされます。その皇子(みこ)が、上記のように周りに侍(はべ)っていた貴族達に話かけたわけです。この「皇子」というのは、タミル語mikk-on[際立った人(great person)]と対応します(m/m対応、-kk-/-k-対応)。日本語では皇子・皇女・巫女の意味となっています。
「いい歌はできないか」、それに触発されて詠(うた)われたとされるのが、まず以下の歌です。

「我妹子が 額に生ひたる 双六の 事負の牛の 鞍の上の瘡」
2015年2月23日ここまで
我妹子は「我が妹子」が縮(つづ)まったもので、古代は自分自身のことを「吾(あ)」と言いました(中古以降は「わ」となりました)。タミル語も同様にak-am[私(I), 自己(self)。第一子音-k-の脱落] です。なお、-amは名詞標識で、これらはほとんどの場合、脱落します。-k-の脱落例としては、タミル語motak-am(餅)と日本語mot-iなどの例があります[大野「形成」p.479(OK432)参照]。
妹は、タミル語evv-ai[われらの若い妹(our younger sister)]と対応します。まずe/iという対応がありますが、-vv-/-m-も対応します(おそらく-vv-/-mv-という渡りの鼻音からイモになったのでしょう)。古代では近親の女性とも結婚しましたから、愛称として、妻をも「いも」と呼ぶようになったと考えられます。
なお、evv-ai の古形*avv-aiも共存していたようで、新潟県や富山県ではab-a(あば)とも言います。
このように親族語というのは乱れやすく、日本語では「男から見て同腹の年上あるいは年下の女兄弟」という意味となりyoungerという意味も無視されています。

さて、合理的に考えますと、無意味な歌などは誰でも作れます。そういう誰にでも作れる歌に大金を与える、というのはどの時代、どの場所であっても、いかにも奇妙です。しかも舎人親王はこの歌に自腹を切って褒美を与えたのではなく、周囲の聴き手から金銭を集めて子(こ)祖父(をぢ)という名の貴族に与える、という奇妙な行動をとっています。ということは、周囲の聴き手も、この歌を解くことで楽しめた、その褒美(ほうび)が、二千文であった、ということではないでしょうか。

窪田空穂によると、当時の米一升は6文だったそうです(窪田空穂「萬葉集評釋」第10巻p.80)。とすると二千文は333升、俵(たわら)にして83俵(ぴょう)にもなります。

このような事情にあれば、これらの歌は、外見上は無意味な歌ではあるけれど、何らかの重層的意味が込められている、と解する以外にありません。
タフサギ(=フンドシ)が登場し、また「氷魚(ひを)そ下がれる」という意味深長な言葉が登場します。

タミル語が日本語(やまとことば)の起源であるとしたら、タミル語でこの歌の意味が解けなければなりません。解けなければ、日本語クレオールタミル語説は瓦解します。ちなみに朝鮮語でもアイヌ語でも南島語でも解けませんでした。ゆえに、もし解けたとしたら、日本語はやはりクレオールタミル語であった、ということになるはずです。とはいえ、歌の内容が、いささか憚(はばか)られるのが残念です。残念だと書いておきながら、これらの歌の解釈は、既述のように「ささがねの蜘蛛」でも一応触れています。今回、その改訂・増補したものを本書冒頭に配置しました。というのも、日本語の語源を考えるに当たって、これらの歌は、大変優れた、捨てがたい標本だからです。
この二首の歌はタミル語の同音異議語、及びその時代でもすでに大和で古語となっていた言葉を駆使したもの、といえます。

「我妹子が」というのは、「わが妻が」という意味です。その妻の額(ぬか)の上に双六が生えている、という極めてシュールな歌を、万葉学者はどう解釈しているでしょうか。実はほぼ皆同じ、でした。まず伊藤 博の「萬葉集釋注八(集英社文庫。2005年刊) を取り上げてみます。ちなみに、この釋注は西本願寺本に拠っています。ただし別本でもこの歌にはあまり異動はありません。その491頁の解釈の部分を見ますと、以下のように解かれています。

うちのかみさんのおでこに生えてる、それあの双六で使う、こって牛の、その鞍の上のおできでした。(3838)
うちの旦那がふんどし代わりにする丸石、その丸石が転がっている吉野の山に、氷魚がぶら下がっているわいな。(3839)

少し時代は古くなりますが、澤(おも)潟(だか)久(ひさ)孝(たか)は、次のように解釈します(「萬葉集註釋」巻第16。中央公論社。1966年刊)。

吾妹子が額に生える雙六のこつて牛の鞍の上に出来た瘡よ。(p.156)
吾が背子が犢(た)鼻(ふさ)褌(き)にする圓(まる)い石の吉野の山に氷魚がさがってゐる。(p.168)

窪田空穂「萬葉集評釋」第10巻(東京堂出版。1985年)では以下のような解釈をしています。

吾が妻の額に生えている雙六盤にして、それは、大牛の鞍の上に出來てゐる腫物である。(p.79)
吾が背子がふんどしにしてゐる圓い石の、その吉野の山に氷魚がぶら下がってゐることよ。(同)
示編↓
武田祐祐吉「増訂萬葉集註釋」第11巻(角川書店。1957年刊)は以下の通り。

わが妻の額に生えている雙六の、大きな牛の鞍の上の腫物だ。(p.270)
親愛なるあなたの犢(たふ)鼻(さぎ)にするまるい石の、吉野の山に氷魚がさがっている。(p.271)

「萬葉集四」(「新日本古典文学大系」岩波書店。2003年刊)もおおむね上記の解釈と同様ですが、「鞍の上」は「倉の上」と解釈します(p.44)。

以上のように、まるで解釈を放棄したかのような解釈です。どう読んでも、二千文の褒美を与えるような内容ではありません。
なお、この一対の歌の題詞「無心所着歌」を伊藤は「心の着く所無き歌とも訓める」とし、「個々の語の心(意味)が、着き合って安定する所がない歌の意で、左注の『由る所なき歌』にあたる。そういう目的の歌であるから、意味が通らないのは当然。通れば、賞金には与(あずか)れないのである」とします。
そして、「ただ、ここには、歌全体の意味は通(かよ)っては失格だが、個々の語の意味は確立されていなければならないという前提がある。どの語も、一座の者の心中にすべりこんでくるものでなければならない。でないと、意味が通っているのかいないのかわからない。(中略)
何を言っているのかわからないものの、「我妹子」(第一首)と「我が背古」(第二首)とを組み合わせて、女と男のむやむやした叫びであることだけはわかるように布石している。何を言っているのかわからないけれども、女と男の関係の何かきわどいものが感じられないわけではないというところに、くだけて酒など飲む男達を満足させる面があったのだと思う(pp.491-492)」とします。
なるほど、歌全体の意味は通っては失格(落選)だが、個々の語の意味は確立されていなければならない、とするところ、また、男女間の関係のきわどい何かが詠(うた)われている、とされるあたりは文献時代以降の日本語だけで解釈する極限の理解といっていいでしょう。でも、意味が通っては失格というのは逆ではないでしょうか。
他方、武田は「意をなさない歌」として切り捨てているような案配です。
さてそれでは、本当に何を言っているのかわからない歌なのでしょうか。
まず、「額(ぬか)」から取り組んでみます。

額はオデコとも言うように、顔からやや突き出ています。「額づく」という言葉がありますが、これはオデコを地面にくっつける動作が元となっています。
同一面で、このやや突き出たものに恥丘があります。恥丘のことをタミル語でkaTitaTam[恥丘(mons veneris)]と言います。この語はkaT-i[腰(waist)。日本語kosi(こし)の語源]とtaT-am[丘(elevated place)]という語の複合語ですので、「腰」自体の意味も持っています。
これから、日本語「額(ぬか)」も丘という意味であると了解することができます。古代人は「オデコ」を顔にある丘と解釈しました。いや、このように書かずとも、「ヌカ」は額(ひたい)のことであると辞書にもちゃんと載っています。
日国辞典によると語源説は三つあり、「(1)ムカ(向)の義〔円珠庵雑記・和訓栞・言葉の根しらべ=鈴江潔子・大言海〕、(2)ナカ(平所)の義〔言元梯〕、(3)ヌク(抜)と同語。額面の抜け出た所の意〔日本古語大辞典=松岡静雄〕」などとしています。いずれもよく理解できない語源説です。
しかし、タミル語にnOkk-am[丘(elevation)]と言う語があり、日本語内部での-o-/-u-交替でこれはnuk-aとなります。ただし、より古くは、nonk-a(-kk-/-nk-対応)と言っていたかも知れません。-kk-とか-tt-などは、しばしば-nk-、-nt-と交替し、渡りの鼻音となることがあります。
現在では、「丘(おか)」という言い方が標準的ですが、これはタミル語okk-am[高台(height)、岡(elevation)]との対応です。nokk-amのn-脱落形でしょう。このn-の脱落は、タミル語okk-u[退(の)く(to leave behind)]と日本語nok-uとの対応などにわずかに認められます。江戸っ子が威勢よく「おきやがれ」というのは、「引っ込んでろ」という意味ですから、「退く」と同じ意味となります。
なお日本の辞書では、この岡の意味として、岡場所の「岡」の意味でもあるとしますが、これは誤りで、岡場所のヲカはタミル語ok-ai[歓喜(delight). 喜び(joy)]が日本語wok-aと対応(o/wo交替)したもので、岡場所というのは「喜びの場所」という意味です。また、この意味での「ヲカ」は「ヲカシ」という形容詞にもなっています。「おかしなことが起こっている」という場合の「おかしな」というのは「おかしい→奇妙だ→変だ」、という意味の発展によります。「オカメ」は「おかしい女」という意味でしょう。

東京・中野区に「野方」という地名があります。この野方は江戸時代の地図を見ますと、現在の目白の椿山荘、学習院大学以西から下落合の高台を経て上高田あたりに延びる丘陵を指していたことが分かります。いわゆる山の手といわれる起源となった地帯です。ということは、野方はタミル語nOkk-am(丘)とt-em(所)からなり、「丘の所」という意味ではなかったでしょうか。
私が小学校の頃教わったのは、野方は「武蔵野の方」という解釈でしたが、これだと意味が通りません。とすると、この野方という地名は、本来、目白台あたりから生じた名称(今は西にずれ込んでいます)ですので、山の手を東か南から見た言い方だったのではないかと思います。額田という姓も、あるいはこれと同じ意味かも知れません。

その「額に生ひたる双六の」といったあたりで、日本語としては意味不明となります。まず、「生(お)ふ」からいきましょう。
「生ふ」という語は、タミル語ol-i[芽を出す(to shoot forth)。繁茂する(to be luxuriant)]と対応します。タミル語-l-は日本語-y-とも対応しますので、そうするとoyi>*oyu>ofuという交替が考えられます。なにも-f-音はすべて昔は-p-音だったわけではありません。ここでは「繁茂する」との意味対応です。以上、旧説を改めます。
双六は言うまでもなく中国語です。双六はかなり早い時代に日本にも流入し、流行(はや)っていたようです。
なぜ流行ったかと言えば、賭博性が非常に強いからです。日本書紀/持統三年(689年)12月8日に「禁断雙六(双六を禁止する)」という記述があるほどです。
これから「双六=ギャンブル」と古代では捉(とら)えられていたと考えられます。ギャンブルのことをタミル語でcUt-u[賭博(gambling)]と言います。もっともタミル語で「賭博」をみてみますと、1ダースほどの単語がありますから、これはその中の一つと言った方が正確かも知れません。
一方、毛の房(ふさ)、毛の茂み(hair-tuft)のことをcUT-uといいます。タミル語ではcUtuとcUTuでは発音が違うのですが、クレオールタミル語としての日本語では同音となります。

つつ
cUt-u    賭博(gambling)
cUT-u   毛の房(hair-tuft)

ここまでで、「我妹子が額(ぬか)に生ひたる双六の」は、「わが妻の丘に繁茂する毛の房の」という意味と置き替えることができます。かなり下品です。となると、この歌ばかりは、将来においても古典の教材としてはとても使えないでしょう。いや実際、大胆なものですが、見事なカラクリとも言えます。タミル語との比較資料ということに関しては、万葉集に採録されるだけの価値はあります。

「コトヒの牛」の「コトヒ」はkaTT-u[荷物(pack)]という語にuy[手や背に乗せて運ぶ(to carry)]を後接させたものと考える方が合理でしょう。このuyはu/o対応で日本語oy-u>of-u(負ふ)と対応します。してみると、kaTT-u の-a-/-o-対応形であるkotoにofuが後接したコトオフの連体形コトオヒ>コトヒで「荷運び」という意味となります。「コトヒの牛」は「荷運びの牛」という意味となります。
方言に「コッテ牛」などと言うところがありますが、これは上記の解と意味がよく一致します。
しかしこの歌の「コトヒ」はそのいずれでもなく、タミル語katupp-u[果物の芯を覆う厚くて柔らかい部分(fleshy part of a fruit oneach side of the seed in the centre)]との対応でしょう(-a-/-o-対応、-pp-/-f-対応)。要するに「果肉」のことです。この意味での日本語「コトヒ」という言葉も、当時はすでに死語となっていた様子です。なお、kattuppuはkattuとpuとに分けられます(-pp-となるのはタミル語の習いです)。そして以下に示した両語が、いずれも日本語でkotofiとなることは間違いありません。

  コトヒ
kaTTu・uy   荷物(pack)負ひ(to carry)
katu-p-pu   果物の芯を覆う厚くて柔らかい部分(fleshy part of a fruit oneach side of the seed in the centre)

「牛」はタミル語でiT-ai[牛(cow)]で、この語はi/u交替、t/s対応して、日本語us-iの語源となります。
ところでこれと同音のiT-aiには「割れ目(gap)」という意味があります。

iT-ai   牛(cow)
iT-ai   割れ目(gap)
 
ここまでで、「我妹子が額に生ひたる双六のコトヒの牛の」は「わが妻の丘に繁茂する毛の茂みの肥厚して柔らかい部分の割れ目の」という意味になります。非常に危ういことがここでは暗に詠われているわけです。いや、暗にというか、知っている者は知っている歌だったわけです。

次に「鞍(くら)の上(へ)の瘡」を解いてみます。実際は「上(うへ)」でしょうが、詠まれるときには「へ」と詠んだはずです。
「鞍」をタミル語でkal-ai[馬の鞍(saddle of a horse)]といいます。これが日本語「鞍」の語源です(-a-/-u-交替)。タミル語ではしばしばタミル語内部でa/u交替しますが、kalaiの類音語にkur-i[陰部(generative organ)]があります。これらは日本語では同音「クラ(kur-a)」となったと考えられます。

kal-ai   馬の鞍(saddle of a horse)
kur-i    陰部(generative organ)

つまりkal-aiはkur-aに、またkur-iもkur-aとなったわけです。このような変化がタミル語内部で生じたものか、日本語内部で生じたものかは、今のところよく分かりません。
kuriがkuraになった証拠は古事記にあります。クラヤマツミ(闇山津見)という神は陰部から生成しているからです。
この方言をみますと、沖縄県竹富島・西表島・鳩間島ではギラ(gir-a)として残っています。
なお、タミル語では女性器・男性器の名称をさほど区別しなかったようです。
たとえばホト(陰部)はタミル語putt-am[生殖器(pudendum muliebre)] からの対応(-u-/-o-対応)です[大野「形成」p395(OK335)参照]。-tt-からの対応ですから、これは-nt-という渡りの鼻音となり、当初はホドと言っていたでしょう。pocc-u[生殖器(pudendum muliebre)]という異音もあり、こちらは日本語「ホゾ」と綺麗に対応します(-cc-/-nc-/-z-/-s-対応)。このpocc-uとpott-u[穴(hole),窪み(hollow)]はおそらく同源でしょう。pott-uは日本語「穴(ほと)、窪(ほと)」と対応します。臍(ほぞ)も同様です。保土ヶ谷という地名がありますが、このホドは窪という意味です。2015年2月21日ここまで

タミル語putt-amそしてpocc-uも女性器・男性器の双方をいいましたが、これは日本語にも反映しており、ホトの異形ホゾは日本語では男性器であり、一方の材にあけた穴に嵌(は)め込むために他方の材の一端に造った突起の意味にもなっています。
誹風柳多留(はいふうやなぎだる)に「夜鍋(よなべ)には大工世継(よつぎ)のホゾを入れ」(63)という川柳があります。そのホゾです。
倉野憲司は「火神は男神であるからその『陰』をホトと訓む事は不可であり、私は前に『カクレ』の試訓を提示したが(中略)語源も明らかではないがヲバセ又はハセと訓むのも一案である」とします[「古事記全注釈」第二巻上巻篇(上)]。
このハセはホゾの異音です。同時にそれはホトにも通じます。
日本書紀の神代巻に、化成神の神(deity)の一対として、大戸之道(おほとのぢ)、大戸之(おほとま)辺(べ)という二柱の神が登場します(ただし、オホトマベというのは間違いで、本来はオホトノベと言ったでしょう)が、この二柱は夫婦で、より古い本来の呼称は男性はオホ・ホト・の・チ、女性はオホ・ホト・の・女(め)であったはずです。ホトは両性の生殖器をともに意味するわけですから、これを夫婦に仮託してもいいわけです。末尾の「チ」はタミル語te[1. 神霊(the deity); 2. 族長(chief)]からの対応です(-e/i-対応)。「メ」はタミル語pen[女(woman)]に由来します。

「上(うへ)」はタミル語uv-an[上のところ(upper-place)]を語源とします(-v-/-f-対応)。通説はウと辺に分けていますが、その必要はないでしょう。
「瘡(かさ)」はタミル語でkott-ai[瘡(scab)]といいます。皮膚のできもの、はれもののことです。これは日本語kasa(かさ)と対応します(o/a対応。-tt-/-nt-/-s-対応)。
このkasaと日本語では同音であったと思われる語にkacc-ai[腰巻き(loin cloth)]があります。kacc-aiは日本語kas-aと対応します。

kott-ai 瘡(scab)
kacc-ai   腰巻き(loin cloth)

さてそうすると、この歌には次のような意味が隠されていることが分かります。
「わが妻の 恥丘に繁茂している 毛の房の 肥厚して柔らかい部分の 割れ目の 女陰の上の 腰巻き」

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