以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。

古事記の中を検索する

その一 本居宣長の説

世には全く区別し得ない語音が、上代では区別されていたであろうことを、初めて発見し、または示唆したのは、実に本居宣長であった。もっとも、宣長は、iと、uと、eととなどの区別については、別に説いてはいないが、これらの音をも、上代では区別して発していたことは、上に具体例をあげたとおりであるが、これらのほかに、上代語音に二類の別のあったことについて、宣長は次のように述べている。

さて又同音の中にも、其の言に随ひて、用ふる仮字異にして、各々定まれること多くあり。其の例をいはゞ、コの仮字には、普ねく許・古の二字を用ひたる中に、子には古の字をのみ書きて、許の字を書けることなく、〔彦・壮士などのコも同じ〕メの仮字には、普ねく米・売の二字を用ひたる中に、女には売の字をのみ書きて、米の字を書けることなく、〔姫・処女などのメも同じ〕キには、伎・岐・紀を普ねく用ひたる中に、木・城には紀をのみ書きて、伎・岐をかゝず、トには登・斗・刀を普ねく用ひたる中に、戸・太・問のトには、斗・刀をのみ書きて、登をかゝず、ミには美・微を普ねく用ひたる中に、神のミ木草の実には、微をのみ書きて、美を書かず、モには毛・母を普ねく用ひたる中に、妹・百・雲などのモには、毛をのみ書きて、母をかゝず、ヒには比・肥を普ねく用ひたる中に、火には肥をのみ書きて、比をかゝず、生のヒには、斐をのみ書きて比・肥をかゝず、ビには備・毘を用ひたる中に、彦・姫のヒの濁りには、毘をのみ書きて、備を書かず、ケには、気・豆を用ひたる中に、別のケには、気をのみ書きて、豆を書かず、辞のケリのケには豆をのみ書きて、気をかゝず、ギには芸を普ねく用ひたるに、過・板のギには、疑の字をのみを書きて、芸を書かず、ソには曽・蘇を用ひたる中に、虚空のソには、蘇をのみ書きて、曽をかゝず、ヨには余・与・用を用ひたる中に、自の意のヨには、用をのみ書きて、余・与をかゝず、ヌには奴・怒を普ねく用ひたる中に、野・角・忍・篠・楽など、後の世はノといふヌには、怒をのみ書きて奴をかゝず。右は記中に同じ言の数処に出でたるを験みて、此彼挙げたるのみなり。此の類の定まり、なほ余にも多かり。此は此の記のみならず、書紀・万葉などの仮字にも、此の定まりほのぼの見えたれど、其はいまだ盒ねくもえ験みず、なほこまかに考ふるべきことなり。然れども、此の記の正しく精しきには及ばざるものぞ。抑々此の事は、人のいまだ得見顕はさぬことなるを、己始めて見得たるに、凡て古語を解く助けとなること、いと多きぞかし。(旧活字本「古事記伝」二九~三〇頁)

特に重要な箇所なので、煩をいとわず全文を引用したのであるが、その炯眼には、真に驚嘆すべきものがある。もっとも、この論述の中には、今日から見れば誤りもある。たとえば、「彦・姫のヒの濁りには、毘のみを書き」とか、また、「野・角・忍・篠・楽など、後の世のノといふヌには、怒をのみ書き」などと述べているあたりは、宣長の誤りであること、上に述べたとおりである。また、「清濁」に関するもののうち、記には、たとえば、「祝き」の「き」には、すべて「岐」を用いているのであるが、宣長は「ほぎ」と誤訓しているのである。

記伝は、中巻の仲哀天皇の段の長歌において、

加牟菩岐 本岐玖流本斯 登余本岐 本岐母登本斯

などと、「岐」をすべて「ギ」と訓じている。後世では「祝ぐ」と言うが、上代では「ほく」と清音に発していたであろうことは、書紀や万葉などに次のような例があることでも明らかである。すなわち、神功紀十三年三月の歌謡には、

等豫保枳 保枳茂苔倍之 訶武保枳 保枳玖琉保之

とあるが、「枳」は清音「キ」にのみ当てる仮名である。また、万葉十九の四二六六には、「保吉等余毛之」とあり、同十八の四一三六には、「千年保久とぞ」とあるが、これらの「吉」「久」は、清音「キ」「ク」にのみ当てる仮名である。

また「同音の中にも、其の言に随ひて、用ふる仮字異にして、各々定まれること多くあり。」と述べているが、「同音」というのは、後世で「同音」になったのであって、上代では異なる音であったはずである。さればこそ、その仮名を書き分けたのである。その語によって、仮名を異にしたのではなく、その音を異にするによって、仮名を異にしたのである。これ、宣長が、ひとしく記伝の「仮字の事」の条で、

恒に口にいふ語の音に、差別ありけるから、物を書くにも、おのづからその仮字の差別は有りけるなり。然るを語の音には、いにしへも差別はなかりしを、ただ仮字のうへにて、書き分けたるのみと思ふは、いみじきひがごとなり。

と述べているのが、宣長の真意である。
しかしながら、個々の例などには、多少の誤りがあるにせよ、宣長が上代仮名遣に二種の別があること、したがって、上代語音に二種の別があることを発見したことは、その後の上代語音研究に重大な示唆を与えたものであり、この点は、国語学上、宣長の功績は、まことに偉大であると言わねばならぬ。

その二 石塚竜欲の研究

宣長の門人石塚竜欲は、師の説をうけついで、さらに研究を進め、「仮字遣奥山路」を著わした。竜麿は、この書の前に、「古言清濁考」を著わして、師の説に基づき、上代文献に用いられている清音・濁音の別を、具体的に各語彙をあげて示している。この書には、宣長の序文もあり、刊行されている。しかし、奥山路は写本のままで、あまり知られていなかったが、たまたま橋本進吉氏が、万葉の音韻研究の途次、この写本を発見し、おおむね氏の所信に合することを知って、世に紹介し、次いで出版されるに至ったものである。奥山路には、稲掛大平の序文があり、その序文に、「寛政十年九月十五日」とあるから、「古事記伝」完成の年であり、宣長の存命中のことである。

さて、奥山路の説は、ほとんど記伝の説をそのままうけついだものであり、清濁の別なども、ほとんど記伝のままである。ただ、一か所、記伝が「棄」を濁音としているのを、奥山路が清音としているくらいの差であるにすぎない。これは、記伝の「奴棄」(脱ぎ)が正しく、奥山路の誤りであること、上に述べてあるとおりである。しかし、奥山路は、上代字音仮名遣の二類の別を、古事記・日本書紀・万葉集の三書にわたり、それを含む各語彙をあげて示している点で、記伝の説を一歩進めたものである。いま、その一例をあげると、たとえば、
い (古)伊 (紀)伊以異易怡壹 (万)移以異已壹 皆通用
のごとく記述している。この「皆通用」というのは、「イ」の音を、これら数種の字音仮名で書き表わしていて、「皆通用」せしめたという意味である。このことは、後世の仮名において、たとえば、の音を「カ」「か」「増」などと書き表わして、みな通用せしめ、の音を「コ」 「こ」 「啄」、の音を「ト」「と」「捜」などで書き表わして、みな通用せしめたという意味と同じである。次に、同書では、たとえば、
き (古)伎岐吉棄 通用 紀幾貴 通用 濁音 岐藝 通用 疑 (紀)枳企耆陶吉己棄伎岐豆既 通用 氣基幾機紀奇 通用 濁音 疑甓 通用 藝矢儀蟻 通用 (万)吉伎企枳棄忌支 通用 紀奇寄綺騎貴 通用 濁音 疑宜義通用 芸陶 通用
のごとく記述している。
これは、古事記においては、たとえば、「キ」の字音仮名表記には二種類あって、「伎・岐・吉・棄」の一類と、「紀・幾・貴」の一類とがあり、この同類の間では、それぞれ、みな通用するという意味である。その濁音においても、「岐・藝」の一類と「疑」の一類とがあるという意味である。また、日本書紀・万葉集においても、それぞれ二種類の字音仮名表記が認められるということを示したものである。これらは、それぞれ音を異にするから、その仮名を異にするというのである。

さて、このように、二種類の字音仮名遣は、同書によれば、およそ次のごとくである。いま、類別代表字音仮名の例を、それぞれ一つずつあげる。





















すなわち、同書のあげた二種類の字音仮名(二種類の音)は、
    エ キ ギ ケ ゲ コ ゴ ソ ゾ ト ド ヌ ヒ ビ へ べ ミ メ ヨ ロ
の二十種にのぼる。かくて、同書は、その二種の字音仮名遣に基づいて、記・紀・万葉に存する語彙を、五十音順に配列して掲げているのであるが、多くの仮名について、「これらの仮字は用ひさま定まりなけれはあけす」と、ことわって除いている。

さて、竜麿の研究は、おおむね記伝の説を踏襲するものであるから、今日の研究の到達点から見れば、多くの誤りが見出される。たとえば、「エ」の「衣」「延」などは、二類対応の音ではないから、除くべきである。もし、これをも二類とするならば、後世発音の区別の無くなった「伊」と「韋」、「宇」と「恩」、「衣」と「恵」、「淤」と「遠」などまであげねばならぬこととなる。また、「ヌ」を二類とし、「ノ」をあげていないことの非は、橋本進吉氏の説のとおりである。そのことは、上に引用してある。また、宣長の「この記は、おごそかに清濁を分かてり。」を奉じて、清濁両用の仮名を、すべて「清」または「濁」に、一律に定めていることは、断じて誤りである。たとえば、「比」を「清」のみとし、「毘」を「濁」のみとしているがごときは、そのいちじるしい点である。故意か疎漏か、同書は、紀の清音仮名「豐」をあげていない。これらの誤りについては、上述の「古事記の清濁両用仮名の項において、具体例をあげたとおりである。

  しかしながら、多少の誤りはあるにせよ、竜麿の研究が、今日の上代語音研究の端を開いたことは、宣長の功績とひとしく、高く評価さるべきものである。

その三 現代諸家の研究

て、上代語音を、進歩した現代語学の立場から、最も精密に検討した第一人者は、実に橋本進吉氏である。

橋本氏は、いわゆる「定家仮名遣」に端を発し、契沖の「和字正濫抄」に至る仮名遣の研究を、「仮名遣は、かくあるべし」とする規制または主義の仮名遣論とし、これを旧系統に属するものとし、宣長に端を発し、竜麿によってやや進歩せしめられた上代仮名遣の研究を、「上代仮名遣は、かくあった」という事実を記載したものとし、これを新系統に属するものとした。

すなわち、仮名遣の旧系統と新系統とは、それぞれ立場を異にする研究であるとした。また、同氏は、奥山路のいわゆる二類対応の仮名を、それぞれ「甲類」「乙類」の名で呼んでいられるが、今日の学者は、すべてこれに従っている。しかし、同氏の甲類・乙類の仮名は、必ずしも奥山路と同一の内容ではない。いま、同氏の「万葉仮名類別表」を引用する。ただし、ア行の「エ」とヤ行の「エ」などは、同氏も甲類・乙類とはされていないから、この表から除くこととする。また、同表から字訓仮名を除く。それは、ここでは字音仮名のみについて論じているのだからである。

キ 甲類 〔清音〕 支・岐・伎・妓・吉・棄・弃・枳・企・耆・陶・豆
〔濁音〕 藝・岐・伎・儀・蟻・陶・矢
キ 乙類 〔清音〕 歸・己・紀・記・忌・幾・機・基・奇・綺・騎・寄・氣・蝉・貴・癸
〔濁音〕 疑・擬・義・宜
ケ 甲類 〔清音〕 豆・計・稽・家・奚・鶏・蓑・谿・溪・啓・價・賈・結
〔濁音〕 牙・雅・下・夏・霓
ケ 乙類 〔清音〕 氣・開・蝉・悶・殃・貍・該・階・戒・凱・覬・居・擧・希
〔濁音〕 宜・義・皚・濁・碍・礙・偈・削
コ 甲類 〔清音〕 古・故・胡・姑・橡・枯・固・高・・顧・弧
〔濁音〕 胡・呉・誤・虞・五・吾・悟・後
コ 乙類 〔清音〕 許・己・巨・渠・去・居・擧・虚・據・謗・興
〔濁音〕 碁・其・期・語・馭・御
ソ 甲類 〔清音〕 蘇・蘓・宗・素・泝・祖・哺・嗽
〔濁音〕 俗
ソ 乙類 〔清音〕 曽・層・贈・増・僧・憎・賊・館・諸
〔濁音〕 敍・存・辣・鋤・序・茹
ト 甲類 〔清音〕 刀・斗・土・杜・度・渡・妬・徒・塗・圖・屠
〔濁音〕 度・渡・怒
ト 乙類 〔清音〕 止・度・登・駅・騰・縢・臺・苔・澄・得
〔濁音〕 杼・縢・藤・騰・廼・耐・特
ノ 甲類 怒・弩・努
ノ 乙類 能・乃・廼
ヒ 甲類 〔清音〕 比・毘・卑・辟・避・譬・必・賓・嬪
〔濁音〕 毘・豐・妣・弭・寐・鼻・彌・弥・婢
ヒ 乙類 〔清音〕 非・斐・悲・肥・彼・被・飛・秘
〔濁音〕 備・眉・媚・靡・傍
ヘ 甲類 〔清音〕 幣・弊・釜・卓・敝・平・峭・覇・陛・反・羮・蔘
〔濁音〕 弁・塒・謎・便・別
ヘ 乙類 〔清音〕 閇・閉・倍・陪・杯・珮・俳・沛
〔濁音〕 倍・毎
ミ 甲類 美・彌・弥・瀰・弭・寐・綱・民
ミ 乙類 微・未・味・尾
メ 甲類 賣・怡・謎・綿・面・馬
メ 乙類 米・毎・梅・淮・妹・昧・晩
モ 甲類
モ 乙類
ヨ 甲類 用・庸・遙・容・欲
ヨ 乙類 余・與・豫・餘・譽・預・巳
ロ 甲類 漏・路・露・婁・樓・魯・盧
ロ 乙類 呂・侶・閭・廬・慮・禾・勒・里
(同氏著「国語音韻の研究」一九六~一九九頁)

の表中、同字または正俗の文字たる「蘇」と「蘓」、「毘」と「豐」、「閉」と「閇」、「彌」と「弥」などを別々にあげていられるのは、必ずしも賛し得ない。また、同氏は、「同じ字が清音と濁音とに重出してゐるのは、或書では之を清音に用ゐ、他の書では之を濁音に用ゐたものである。」と説明していられるが、しかし、同一の書「古事記」中に、清濁両用の仮名のあることは事実であり、上に立証したとおりである。また、ひとしく上代語において、ある書は清音に発し、ある書は濁音に発するとも考えられぬことである。しかしながら、同氏が「毘」を清濁両用としてあげられていることなどは、わたくしの見地と全く一致するもので、ひとしお意を強うする。

ただ、「比」をも清濁両用としてあげていただきたかったとも思う。また「ノ」の甲類に「濃」をあげていただきたかったとも思う。しかし、同氏が、江戸時代中期以後の国学者の誤訓「ヌ」を旧にもどして「ノ」と訓ずべきことを説かれていることは、上にも述べてあるが、その功績は、特に高く評価さるべきものである。
さて、橋本氏のいわゆる甲類・乙類の上代音韻説は、その後多くの国語学者によって継承せられ、ほとんど定説のようになっている。しかしながら、その二類対応の音韻が、それぞれどのような音韻であったかという具体的事実を知ることは、きわめて困難である。それは、今日のわれわれが、それらの両類の実際的・具体的な音声を耳にすることができないからである。したがって、これまでに現われた諸家の説は、すべていまだ推論の域を出でず、定説というべきほどのものは、ほとんどみることができないのである。橋本氏は、次のように述べている。

れでは実際にどんな音であったかといふに、諸説があって一定しないが、しかし、一つの仮名に相当する二音の中、一つだけはその仮名の現代の発音と同じもので、即ちイ段の仮名ならばiで終り、エ段ならばe、オ段ならばoで終る音であることは一致してゐる。他の一つに就いては右のに近い音であることは一致しているが、或は之に近い開音(それよりも口の開きを大きくして発する音)であるとし(吉武氏)、或は之に近い中舌母音(舌の中ほどを高くして発する音)であるとし(金田一氏)、或は、母音の前にwの加はったワ行拗音であるとし、或は、イ段エ段でほ母音の前にy(音声記号・J)の加はったヤ行拗音であるとし、オ段では中舌母音であるとする説(有坂氏)などがある。

また、有坂秀世氏は、

オ列乙類は、アルタイ語族の女性母音にあたるものであり、ウ列・オ列甲類、ア列は男性母音にあたるものである。

と言い、また、「シナ音韻史の資料が、国語音韻史の研究のために、当然用いらるべきである。」とも言う。同氏は、なお次のようにも述べている。

オ列音については、現代シナ諸方言について考えると、甲類の仮名に用いられている漢字の音韻は、主として後舌母音を含み、乙類の仮名に用いられている漢字の音韻は、主として中舌的(ことに前舌円唇的)の母音を含んでいる。(「古事記におけるモの仮名の用法について」)

また、

ア列音(a)、ウ列音(u)、および甲類オ列音(o)に対応する古代母音が陽性、乙類のオ列音に対応する古代母音が陰性であったということは、いうまでもない。甲類のイ列音(i)の祖先が中性であったことも、ほぼ間違いはなかろう。(「古代日本語における音韻結合の法則」)

とも述べているが、明確に個々の音韻を示すまでには至っていない。
その他、多くの学者によって、甲類・乙類の仮名の音価推定が試みられているが、前にも述べたごとく、いまだ定説を見るに至らない。

だ、今後の研究方針として言えることは、字音仮名が漢字の音を用いているものである以上、シナ語の音韻史、韻鏡、現代シナの諸方言等を資料とすべきことは、もちろんであるが、漢字の伝来が記紀の伝えるごとく、古代朝鮮からであるとすれば、当然、古代朝鮮語音およびそれが残存するであろうと考えられる現代朝鮮の諸方言等をも、資料としなければならぬ。一例を言うと、大矢透氏以来、片かなの「ツ」、平がなの「つ」が、古代朝鮮の「川」から来たもののように説かれているが、わたくしは、古代朝鮮語の「州」から来たものであろうと思っている。「州」の呉音「ス」が「ツ」に転じたとは考えられるが、「川」の呉音「セン」が「ツ」に転じたとは、音韻転化のうえから考えられぬことである。現に、書紀では、三韓人の名を「己州己婁」「州利即次」「州利即爾」などと、「州」をすべて「ツ」と訓じているが、「川」を「ツ」と訓じている箇所は一つも見えない。古事記にも全く見えない。万葉には「川」を「ツ」と訓じているところがあるが、これは恐らく「州」の草体の誤写であろうと思う。かくて、平安時代などに入ると、「川」と書き、「ツ」を読むようになったものと思われる。これらのことから、大矢透氏などが「ツ」は「川」から来たもののように思われたのであろう。また、日本語が、はたしてアルタイ語族系の語であるとすれば、蒙古語や古代満州語その他をも、資料としなければならぬこと、もちろんである。これらのことは、すべて今後に課せられた方法上の問題である。

その四 甲類・乙類の仮名に関する疑点

麿の研究の二類の仮名、橋本氏の研究の甲類・乙類の仮名とされているもののうち、疑問を抱かせられるものが、決して少なくない。このことは、二類対応の仮名(二種の音韻)の学説を、あるいは根底から検討しなおす必要に迫られることになるかもしれない。したがって、二類対応の仮名に基づく上代語の解釈について、根本的に考えなおす必要があるかもしれない。わたくしは、ひとまず、従来の説に従うこととはするが、ここに、それらの仮名に関する若干の疑問を掲げ、大方の批判または教示を得たいと思う。

甲類とされている「美」と乙類とされている「微」とに関する疑点
宣長は、記伝の「仮字の事」の条において、「神のミ、木・草の実には、微をのみ書きて、美を書かず」と述べ、竜麿以来、橋本進吉氏・大野晋氏その他の国語学者は、すべて「美」と「微」とを二類対応の仮名(音韻)としている。はたして、そうであろうか。そこで、まず、日本語の「かみ」という語について考えてみよう。

語では、畏敬すべきもの、恐ろしきもの、人間以上の霊能を有するものなどを、すべて「かみ」と称している。
まず「神」であるが、「神」の語源について、鑑・鏡・明見・隠し身その他の諸説があるが、いずれも首肯されぬ。わたくしは、新井白石・賀茂真淵・伊勢貞丈・小山田与清・チェンバレン・アストンその他の人びとの説く「上」の義とする説が、最も妥当であろうと信ずる。すなわち、一般の人間の「上位」に立つ霊格を「神」と称して、これを畏敬したものと思う。「髪」「川上」「お上」(役所・役人)などの「かみ」も、「上の方にある」ことからの称であろうと思う。そのうち、わが国開闢以来、神武天皇以前の世、すなわちいわゆる神代と呼ばれる世に生存したと考えられるお方々を、すべて「かみ」と称している。文字は、記紀万葉などに、「神」「神人」「神聖」「人」などを用いている。また、いわゆる人代においても、天皇や皇祖をも「かみ」と呼んでいる。記の雄略天皇の段の歌謡に、「あぐらゐの加微の御手もち弾く琴に」、万一の二九「生れましし神のことごと、つがの木のいやつぎつぎに」、同三の二四一「おほきみは神にしませば」などとある。

た、恐るべき動物などをも、すべて「かみ」と称している。たとえば、「蛇」を「神」と呼んでいる。神代紀、上、一書に、スサノヲノミコトは、八岐大蛇に対して、「汝是可レ畏神、敢不レ饗乎。」と言って、酒を饗している。雄略紀七年七月の条には、天皇が少子部螺豼に、「三諸岳の神の形を見たいから捉えて来い。」と命ずると、螺豼は三諸岳に登り、「大蛇」を捉えて来て天皇に奉った。その記事に、「天皇、不二斎戒。其雷禹禹、目精赫赫。」とある。これ、蛇雷一体説のあるゆえんである。仙覚万葉鈔巻二に引用してある「常陸風土記」には、「新治郡駅家名、日二大神。所二│以然称一者、大祟多在。因名二駅家。」とある。この「大祟」については、下に述べる。また、猛獣や鰐などの恐るべき動物をも、すべて「神」と称している。欽明紀即位前の記事に、秦の大津父という者が、山中で相闘っている二匹の狼に対して、「汝是貴神而楽二是麁行。儻苡二猟士、見レ禽尤速。乃抑二│止相闘。」とあり、欽明紀六年十一月の記事には、膳臣巴提便が、その子を害した虎に対して、「汝威神、愛レ子一也。云々。」と言い、万十六の三八八五にも、「韓国の虎とふ神をいけどりに」などとあり、「狼」を「おほかみ」、「豹」を「なかつかみ」、「鰐」を「さひもちのかみ」などと言う記事が、記紀に見えている。また、恐ろしい「雷」をも「かみ」と称した。今日の「かみなり」は、「雷の鳴る」ことから来た語である。万十四の三四二一に、「伊香保嶺に可未な鳴りそね」などとあり、また「雷鳴のように、とどろく」意に用いたものとしては、記、中、応神天皇の段の歌謡に、「みちのしり、こはだをとめを、聟微のごと、きこえしかども、相枕まく」とあり、応神紀十三年九月の条にも「みちのしり、こはだをとめを、伽未のごと、きこえしかども、相枕まく」とあり、万十二の三〇一五にも、「神のごときこゆる滝の白浪の面知る君が見えぬこのごろ」などとある。以上の「かみ」は、また「霊」とも称した。記紀に見える「いかづち」「かぐつち」「のつち」「しほつち」「みづち」(磊・蛟)、「をろち」(大蛇)その他。記紀の応神天皇の歌謡に「まろが知」「まろが智」などとあるのは、「わが主、わが天皇」の意であって、やはり「霊」の意と解せられる。

て、上述の「かみ」の仮名を見ると、万二十の四三七四に、「あめつちの可美に祈りて」と、「美」を用いている。また、上に保留しておいた「大祟」は「竜神」の義であり、「掣」の文字を当てる。玉篇に「或作レ掣、又作レ霊。神也。」とある。これらの「おかみ」を、古訓古事記、上三十一オに「淤加美」、同四十四オにも「淤加美」とある。また、神代紀、上、一書には、「掣」に「於箇美」と訓注を施しており、万二の一〇四にも、「わが岡の於可美に言ひて降らしめし雪の摧けし其処に散りけむ」とあり、豊後風土記、直入部の条には「蛇掣」に「於箇美」と訓注を施している。また「闇掣」は、谷間の暗いところに潜んでいて、のぼっては雨を降らせる竜神の意であるが、記には、「闇淤加美」(上十オ)とあって、すべて「美」を用い、「微」を用いていない。これらの例から考えると、「美」と「微」とを二類対応の音韻とすることは、かなり無理なように思われる。

かし、これらは、語の解釈には、さして支障をきたさない。  ところが、記の表記「久志能加美」(中六十六オ)の「美」は、語の解釈に大いに響いてくる。「くし」は「薬」の転であり、「くすり」のことではあるが、転じて「百薬の長」たる「酒」の意となる。記、中、応神天皇の段の歌謡に、「許登那具志、惠具志に、われ酔ひにけり」とある。「具志」は「クシ」の連濁であり、「酒」のことである。「コトナグシ」は「事和ぐ酒」または「心和ぐ酒」の約濁、「ヱグシ」は「酔ふ酒」の略濁である。そして、この「加美」は「神」である。「クシノカミ」は、医薬の神であり、酒の神であり、少彦名神のことである。この神は、大国主神とともに、医薬の神であると同時に酒の神でもある。ところが、記伝は、次のように述べている。

「加美は、上なり。長子を子長と云ひ、云々。又諸の司に各々其の長官を加美と云ふ。これらの加美と同じくて、酒の首長と云ふ意なり。此の加美を、人皆神と心得たる、それもこともなく穏やかに聞ゆれども、吾が大人の考への如く、記中、神の仮字にはみな、加微と書きて、美の字を用ひたることなければ、此は神には非ず。」(旧活字本「古事記伝」一六三三頁)

れ、上来しばしば述べたごとく、宣長が仮名のことに関しては、帰納法を執らず、独断的な演繹法を執ったことによる誤謬である。「神」の「ミ」に、「美」と「微」との両仮名を使用していることは、上に具体的実例を多くあげたとおりである。しかるに、記伝の説に盲従して、「久志能加美」を「酒の司」などと解釈し、それが正しいなどと説明している古事記研究書がある。しかし、少彦名神が、造酒官庁の長官であるなどとは、何としても考えられぬことである。「大日本国語辞典」には、「久志(クシ)の神」とあり、「大言海」にも「医薬ノ神、即チ少彦名命。」とあり、「広辞苑」にも「医薬の神、即ち少彦名神。」とある。そして、「医薬」は転じて「酒」の意となること、上述のとおりである。これらの国語辞典の説は、はたして誤りであろうか。

た、記には、ひとしく「見る」という動詞を「美流」(上四十ウ、上四十一オ、下二十三ウ)とも書き、「微流」(上四十二オに二か所)とも書いている。
以上の諸実例から見て、「美」と「微」とは、甲・乙二類の仮名ではなく、したがって、二類の音韻ではないようにも思われる。

甲類とされている「斗」と乙類とされている「登」とに関する疑点
宣長は、記伝の 「仮字の事」 の条において、「戸・太・問のトには、斗・刀を書きて、登をかゝず」と述べているが、事実は必ずしもそうではない。
いま、「問ふ」という動詞の例を見るに、「ト」に「斗」を用いているのは、「和賀那斗波佐泥」(わが名問はさね、下二十二オ)、「本那聟爾多知弖斗比斯岐美波母」(火中に立ちて問ひし君はも、中五十一オ)、「宇倍志許曽斗比多麻閉」(うべしこそ問ひ給へ、下十二ウ)、「淤富佐聟邇阿布夜袁登売袁美知斗閉婆」(大坂に会ふや少女を道問へば、下十五オ)などにすぎない。
ところが、ひとしく「問ふ」 の「ト」に「登」を用いている例が多い。「始為二阿芸登比。」(「問ひ」の名詞化、中三十八オ)、「必真事登波牟」(問はむ、中三十八オ)、「和賀登布伊毛」(問ふ、下二十オ)など。また、「問ふ」の「ト」に、いわゆる乙類の「杼」を用いている例もあって、必ずしも「斗」をのみ用いるとも言えないのである。「志多杼比爾和賀登布伊毛」(「問ひ」の連濁、下二十オ)、「都摩杼比」(「問ひ」の連濁、下三十ウ) など。
また、ひとしく「取る」という動詞の「ト」に「斗」「登」の両字を用いている。「佐袁斗理邇」(棹取りに、中七十七オ)、「本陀理斗理」(ほだり取り、下三十九オ)などは「斗」。「久路岐美豆斯遠麻都夫佐爾登理与曽比」(「取り」は接頭的用法、上四十ウ、上四十一オ)、「志豆延波比登登理賀良斯」(「取り枯らし」、中七十七ウ)、「佐邪岐登良佐泥」(取らさね、下十ウ)、「和賀弖登良須母」(わが手取らすも、下十一オ)、「本陀理登良須母」(ほだり取らすも、下三十九ウ。相接近して「登」「斗」を用いている。)

れらの実例から見て、「斗」と「登」とが、はたして甲・乙二類対応の音韻であったかどうか、すこぶる疑わしくなる。したがって、筑紫の「山門」の「斗」と畿内の「大和」の「登」とが、異なる音韻であるかどうかも、大きな疑問となってくる。ゆえに、魏志倭人伝などに見える「邪馬台」「耶馬台」「野馬台」(ヤマタイ・ヤバタイ・ジャバタイなどは誤訓)などを、筑紫の「山門」であるとか、畿内の「大和」であるとかいう論争を、甲類・乙類の仮名のうえからのみ行なうのは、必ずしも有力な論拠とはなり得ないであろう。むしろ、文化の移動経路、出土品の比較などの点から証拠立てる方が有力であろうと思う。  まだ、以上のほかにも、甲類・乙類とされる仮名(たとえは「蘇」と「曽」、「比」と「肥」)などに関しても疑問があり、この二類対応の仮名(音韻)については、さらに再検討の必要があろうと信ずるが、後考をまつこととする。

古事記字音かな一覧表

ア 阿????????????? イ(i) 伊????????????? ウ(u) 宇????????????? ウ(*) 恩????????????? エ(e) 亞愛????????????? エ(*) 延????????????? オ(o) 意淤隠

 

カ 加聟賀可訶甲????????????? ガ 賀加聟何我宜????????????? キ(甲類) 伎岐吉藝????????????? ギ(甲類) 岐藝棄?????????? キ(乙類) 紀幾貴

 

ギ(乙類) 疑紀????????????? ク 久玖具?????????? グ 具????????????? ケ(甲類) 豆計????????????? ゲ(甲類) 豆牙下?????????? ケ(乙類) 氣

 

ゲ(乙類) 宜氣????????????? コ(甲類) 古故胡高碁????????????? ゴ(甲類) 碁其基????????????? コ(乙類) 許??? ゴ(乙類) なし

 

サ 左佐沙邪????????????? ザ 奢邪????????????? シ 志斯師色紫芝之士?????? ジ 自士 ス 須洲周?????????? ズ 受????????????? セ 勢世????????????? ゼ 是

 

ソ(甲類) 蘇宗素?????????? ゾ(甲類) なし?????????? ソ(乙類) 曽?????????? ゾ(乙類) 敍存曽

 

夕 當他太多陀?????????? ダ 太多陀?????????? チ 知智遲?????????? ヂ 遲治知智地????????????? ツ 豆都????????????? ヅ 豆都????????????? テ 帝鵜弖

 

デ 傳殿弖?????????? ト(甲類) 斗刀度土?????? ド(甲類) 度刀斗????????????? ト(乙類) 登杼等?????????? ド(乙類) 杼縢騰登

 

ナ 那?????????? ニ 爾邇仁?????????? ヌ 奴怒????????????? ネ 泥尼禰????????????? ノ(甲類) 奴怒努濃?????????? ノ(乙類) 能乃

 

ハ 波婆貝????????????? バ 波婆????????????? ヒ(甲類) 比豐卑?????????? ビ(甲類) 比豐?????????? ヒ(乙類) 肥斐????????????? ビ(乙類) 備??? フ 布賦服夫

 

ブ 布夫????????????? へ(甲類) 幣弊徘?????????? べ(甲類) なし?????????? へ(乙類) 閉??? べ(乙類) 辨倍????????????? ホ 富本菩番蕃品????????????? ボ 煩

 

マ 揺庄馬?????????? ミ(甲類) 美彌 ミ(乙類) 微未????????????? ム 牟武无?????????? メ(甲類) 賣怡

 

メ(乙類) 米?????????? モ(甲類) 毛?????????? モ〔乙類) 母木

 

ヤ 夜也????????????? ユ 由??? ヨ(甲類) 用???????????? ヨ(乙類) 余與豫

 

ラ 良羅????????????? リ 理 ル 流琉留?????????? レ 禮??? ロ(甲類) 漏路盧樓?????????? ロ(乙類) 呂侶

 

ワ 和丸????????????? ヰ(*) 韋 ヱ(*) 惠???????? ヲ(*) 袁蘚

〔※備考〕 右のうち斗(甲)と登(乙)、美(甲)と微(乙)、蘇(甲)と曽(乙)、比(甲)と肥(乙)、その他に関し、あるいは全体の仮名に関し、はたして二類対応の仮名であるかどうかを、再検討すべきであると思うが、ひとまず、そのままとする。



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