以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。

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仮名遣を通して考えられる上代語音の清濁や甲類・乙類の音韻などのほかに、古事記を読むために知って置くべき上代語音の諸問題を、ごくざっと見渡すこととする。

その一 鼻音m・n・p

代日本語には、恐らくm・n・pの音は存在しなかったであろう。これらの音は、すべてシナ語の音であるが、上代人は、これらの外来語音を敏感に聞き分けることができたらしい。しかし、日本語は、元来開音節(語尾が母音で終わる)であるから、m・n・pのごとき子音をそのまま発することは困難であったらしく、これらの子音に母音を加えて、すべて開音節として発音していた。すなわち、記伝には、一か所も「ン」の訓はない。たとえば、「論語」を「ロムゴ」、「千字文」を「セムジモム」などと訓じている。
もっとも、これらは、宣長個人の訓であって、必ずしも古事記撰修当時の上代音であったとも言えないであろう。「論」はシナ語音では"lun"であるから、むしろ「ロニ」となるであろうし、「千」はシナ語音では"chien"であるから、「セニ」となるべく、「文」もシナ語音では"wen"であり、呉音では「モニ」となるであろう。したがって、「論語」は「ロニゴ」、「千字文」は「セニジモニ」と発音したであろうと思う。万葉集にも「ン」の訓は、ほとんど見えない。

だ、古来「藤原夫人」を「ふぢはらのブニン」などと訓じているが、これは恐らく、上代語ではないであろう。書紀では、「夫人」は「きさき」「みめ」または「おほとじ」「おとじ」などと訓じられていて、「ブニン」などの訓は一か所も見えない。
したがって「藤原夫人」は「ふぢはらのおほとじ」などと訓じられていたであろう。万二十の四四七九の右に、「藤原夫人」の字を「氷上大刀自」と呼んだとある。このほかには、万葉に「ン」の訓は、ほとんど見えない。たとえば、「旱」を助詞「がに」に当て、「兼」「険」「監」などを助動詞「けむ」に当て、「丹」を「たに」に、「田」を「までに」の「でに」に、「点」を「行きてむ」の「てむ」に、「乱」「濫」「覧」「藍」を助動詞「らむ」に当てている類である、書紀の古伝本の傍訓には、「ン」の仮名が多く見えるが、これは「ン」の音を発し得るようになってからの人びとの施したもので、多くは「ニ」と訓ずべきところである。たとえば、「印」を「イニ」、「干」を「カニ」、「半」を「ハニ」などと訓ずべきところである。

字音に、m・nの区別のあることを論じたものに、東条義門の著「男信」がある。義門は、上野国(群馬県)利根郡の郷名「ナマシナ」に「男信」の漢字を当てていることから気づいたのである。義門は、もちろん、ローマ字を用いて論じたのではないが、「男」の呉音は"nam"であり、「信」の呉音は"hsin"であることから、これらの語尾の子音に母音aを加えて、「ナマシナ」と国語化したことに注意し、そこから多くの例について論じているのである。しかし、義門はまだ、pの音については気づいていなかった。
上述のごとく、日本語には、もともとm・n・pの音は存在しなかったが、しかし、上代人は、これらの外来音を敏感に聞き分けることができた。さればこそ、これらの子音に母音を加え、これを国語化して使用することができたわけであろう。
いま、m・n・pの三子音について、上代語の具体例をあげて考察しよう。

(イ) mの音は、すべてマ行の開音節化して発音していた。
陰陽師(om-yang-hsi)↓おみやうじ 諍(cham)↓せみ 和椈(wazam)↓わざみ 金(chim)↓きむ 錦(chim)↓きむ 参(sam)↓さむ その他。

(ロ) nの音は、すべてナ行の開音節化して発音していた。
信濃(hsin-nou)↓しなの 因幡(yin-po)↓いなば 銭(chien)↓ぜに 丹波(tan-po)↓たには 難波(nan-po)↓なには 蘭(lan)↓らに 讃岐(tsan-chi)↓さぬき 雲飛(yun-fei)↓うねび 信夫(hsin-fu)↓しのぶ その他。

(ハ) pの音は、一般的には開音節化して「ウ」と発音していた。たとえば、
香(ka 現代シナ語音はhsi )↓かう 港(ka )↓かう 興(ko 現代シナ語はhsi )↓こう 相(hsia )↓さう 当(ta )↓たう 陽(ya )↓やう 王(wa )↓わう その他。
しかしながら、上代人はpの音を聞き分けることができたらしく、pの音を響かせながらも、これを国語化してガ行の音に発していた。
伊香(i-ka )↓いかが・いかご 香山(ka -yama)↓かぐやま・かごやま 興(ko )↓こご 相武(hsia -mu)↓さがむ 相楽(hsia -l吹j↓さがらか 当(ta )↓たぎ その他。

そして、これらの中の一音を取って、字音仮名としても用いた。たとえば、「香」「当」「王」 の類がそれである。したがって、「香具山」の「具」、「当芸」の「芸」などは、いわゆる捨て仮名である。これは、あたかも、江戸時代に「先町」を「先斗町」と、「斗」を捨て仮名として書いた類である。

て、nの音を表わす「ン」「ん」の仮名は、平安時代以後に生じたが、mやpの音を表わす仮名は、今日に至るも、ついに生じない。上代人はmの音が語頭に来ると、mの音を加えて発音していたと信じられる。しかし、mの音を表わす仮名が無いために、「宇」「牟」などの仮名で書き表わしていた。たとえば、「馬」は、シナ語の"ma"から来たのであるが、書紀では 「宇摩」、万葉では「牟麻」「宇万」などと表記している。「梅」も、シナ語の"me"から来たのであるが、万葉では「宇梅」「烏梅」などと表記している。これらは、いずれも、mの音を表わす仮名の無いために、やむを得ない表記法であったのであろう。今日でも「うま」「うめ」とは書くが、実際の発音は、明らかに"mma""mme"であり、決して"uma"でも"ume"でもない。かつて、江戸時代に、本居宣長と上田秋成とが、「むめ」が正しいとか、「うめ」が正しいとか、論争した話は有名であるが、ローマ字を知らないための暗中模索的論争にほかならぬ。この二人の論争を揶揄したのが、次の蕪村の句である。

梅咲きぬ、どれがむめやらうめぢややら

pに母音を加えて、 ・ ・ ・ ・ と発音することは、今日では明らかに耳にする。しかし、これらの音を表記する仮名が無いから、音声学などでは、カ・キ・ク・ケ・コなどと表記している。この音は、比較的新しい時代になってから生じた音であり、もちろん、上代には存在しなかったようである。人によっては、上代にpの音があったと言う者もあるが、さらに検討を要するであろう。

その二 消  音

消音とは、上の音節に含まれている母音に吸収されて、下の音節に含まれる母音が消失する現象をいう。消音の多いことは、上代語の一つの特徴である。しかし、それは、常にそうなるとは限らない。たとえば、「阿佐阿米」(朝雨)を「阿佐米」と言わない類である。つまり、上代語には、消音の現象が多く見られるというにすぎない。いま、上代の文献に見られる消音の例を少しく掲げておく。

(イ) 母音「ア」の消失する例
市鹿文↓いちかや 磐余・磐村(記、磐寸)↓いはれ 大脚↓おほし 韓白水郎↓からま 倉稚綾江↓くらわかやひめ 坂合↓さかひ 更荒↓さらら 田油津江↓たぶらつひめ 高天原↓たかまのはら 村合↓むらはせ その他。  古事記の冒頭「高天原」の訓注に、「訓二高下天、云二阿麻。」とある。この訓注に従うなら、「たかアマのはら」と訓ずべきはずであるが、記伝などは「タカマノハラ」と訓じている。これは、上代語の消音の法則に従っているのであろう。しかし、記伝以前では、たとえば延本などは「タカアマノハラ」と、正しく訓注に従って訓じている。また、寛文板本の書紀では、持統天皇の御名「高天原広野姫」の傍注に、「タカアマノハラヒロノヒメ」とある。しかし、これなども、書紀の研究書の多くは、「タカマノハラヒロノヒメ」と訓じているが、やはり上代語の省音の法則に従っているのであろう。

(ロ) 母音「イ」の消失する例
赤石↓あかし 年魚市↓あゆち 出石↓いづし 息石耳↓おきしみみ 大市↓おほち 皮石↓かはし 亀石↓かめし 礎石↓つみし 取石鹿文↓とりしかや鐸石別↓ぬてしわけ 守石↓もりし その他。

(ハ) 母音「ウ」 の消失する例
青海↓あをみ 忍海↓おしのみ 豊浦↓とよら 松浦↓まつら 八瓜↓やつりその他。

(ニ) 母音「オ」の消失する例
  糸織媛↓いとりひめ 迹大川↓とほかは 道の奥↓みちのく その他。

母音「エ」の消失する例もあるであろうと思われるが、後考にまつこととする。

その三 約  音

音とは、複合語の中の二音節が約まって、一音節となる現象をいう。約音の多いことも、上代語の特徴である。
淡海↓あふみ 天降↓あもり 凡海↓おふさま 大石↓おひし 河内↓かふち喚上ぐ↓めさぐ 宍粟↓しさは 叩合ふ↓たたかふ 機織↓はとり 眼のあたり↓まなたり 我家↓わぎへ 我妹子↓わぎもこ その他。

その四 長  音

音とは、末を長く引く音をいう。上代語に長音の存在したことは、次の文によっても明らかである。

亞亞音引 志夜胡志夜。此者伊碁能布曽。阿阿音引 志夜胡志夜。此者澹咲者也。(底本等、亞亞を疊疊に誤る。中七オ~ウ)

右の文の分注「音引」によって、上代に長音の存在していたことを知ることができる。もとより、上代に長音符号などのあろうはずはないから、「亞亞」「阿阿」と表記したのであるが、これらは「エエ」「アア」と発音したのではなく、「エー」「アー」と長音に発したことを「音引」の分注によって示したものである。ある人の「新注古事記」に「ええエエエ しやこしや」 「ああアアア しやこしや」などとあるが、不思議な長音である。恐らく誤りであろう。

その五 拗  音

代の国語としては、拗音は発せられていなかったであろう。拗音は漢語などの外来語だけに見られる。しかし、その漢語も、できるだけ国語に訳して読む方が望ましいと思う。万葉で「生死」を「シャウジ」と訓じているところがあるが、これなどは「いきしに」と訓ずる方がよく、「主帳」なども「シュチャウ」よりは「ふむひと」の方がよく、「掾」なども「ジャウ」よりは「まつりごとびと」の方がよいであろう。書紀などでも「朱鳥」を「阿訶美苔利」と訓じ、「シュチャウ」などとは訓じない。万葉の「過所」などは、明らかに外来語である。純粋の漢文体で書かれている古事記の序文なども、できるだけ国語で読む万がよいと思う。たとえば、「陰陽」は「インヤウ」よりは「めを」、「海水」は「うしほ」などと読む方がよいと思う。「気象」「造化」などは、やむを得ないであろうが、これらは、もちろん国語ではない。

その六 促  音

代の文献には、促音の表記が全く見出されない。しかし、このことをもって、ただちに上代語に促音が存在しなかったと即断することもできないであろう。なぜなら、促音は日本語の一特徴とされているものだからである。しかるに、促音の表記は、上代文献のみならず、平安時代に入ってさえ見られない。たとえば、「土佐日記」「蜻蛉日記」「更級日記」「三日」「四日」「律師」「持て来」の類である。促音の表記が見えるのは、ようやく軍記物語などにおいてである。たとえば、「よっぴいてひやうと射る」「ねったい(妬い)」など。上代や平安時代の文献に、促音表記の見えないのは、あるいは、促音表記の方法を知らなかったからであるかもしれない。したがって、今は上代に促音が存在しなかったとは断定せずに、ただ、促音の表記が見えないと言うにとどめておこう。
 

だ、考えられることは、促音は、だいたい関東語の特徴であるということである。促音は勢いの強い音であり、まさに坂東の荒武者などの激しい気性に合する音である。そのあずまえびすに系統を引く関東人は、今日でもさかんに促音を連発している。「買って来た」「そう言った」「おっこっちゃった」など。しかし、関西人は、「買うて来た」「そう言うた」「落ちてしもた」などと言う。したがって、上代の大和地方などには、促音が比較的少なく、語り部などの発音にも、促音がほとんど無かったのではないかとも推測される。その語り部などの口誦に基づく上代の記録に、促音表記の見えないのも、あるいはそうした原因によるものとも考えられる。また、優にやさしい京都人の、しかも女流作家たちの筆になる平安時代の文章などに、促音表記の見えないのも、あるいは右のような事情によるのかもしれない。

その七 音  便

代語には、音便の現象がわずかに見える。たとえば、万葉十八の四〇六一に「賤男の徒は、川の瀬麻宇勢」、同十八の四〇九四に「みちのくの小田なる山に、金ありと、麻宇之たまへれ」などと見えるのが、「麻袁勢」「麻袁之」などの音便かと思われるくらいのものである。音便の多く見えるのは、平安時代に入ってからのことである。古事記には、いわゆる音便の語は一つも見えない。しかるに、書紀の古写本の傍訓などには、音便の語が多く見られるが、これらは恐らく、平安時代以降の人のさかしらな訓であろうと思われる。宣長は、「玉かつま」において、

書紀の今の本は、云々。又、訓も古言ながら、多くは今の京になりてのいひざまにて、音便の詞など、いと多き、云々。

と述べている。ついでながら、宣長は、ここでは今日われわれの用いる「音便」の意に用いているが、記伝では、いわゆる「連濁」のことを「音便」と呼んでいる。「連濁」の現象は、上代語に多く見られる。それらは、上述の「仮名の清濁」の条に具体例を多くあげてあるから参照されたい。

その八  アクセント

代語を耳にすることのできない今日、上代語のアクセントやイントネーション などを知ろうとすることは、全く不可能なことである。ところが古事記には、ところ どころに、思い出したように、「上」「去」などと、漢字の四声が記入されている。 たとえば、「宇比地邇上神」「須比智邇去神」(上一ウ)、「阿那邇夜志愛上袁登古袁」「阿那邇夜志愛上袁登売袁」(上三ウ)などとある。しかし、これらの「上」「去」などの記入が、はたして訓注や分注などのように、撰者太安万侶の手によるものであるかどうかは、すこぶる疑わしいものである。わたくしは、恐らく後人の続入であろうと思っている。なぜなら、シナ語すなわち漢字のアクセントを示す四声が、語族を異にする日本語に当てはまるはずはないからである。そもそも、シナ語にいう四声とは、漢字音の四種のアクセントをいうのであり、これに「平声」「上声」「去声」「入声」の別がある。今日の北京官話では、「上平」「下平」「上声」「去声」の四種となっているが、シナの古い文献に見えるのは、「平」「上」「去」「入」である。いま、諸橋轍次先生著「大漢和辞典」に、その説明を求めると、次のごとくである。

平声は平らかに言って上下無く、頭音・尾韻共に高低の無い声。上声は頭音軽く、尾音の高いもの、即ち尻上りの声。去声は頭音明らかに、尾韻の軽いもの、即ち尻下りの声。入声は促音即ち音の尻を呑む声。

しかし、シナ語の四声すなわち四種のアクセントは、日本語のアクセントとは、かなり異なるものである。日本語のアクセントは、ほとんど高低型に属し、語中の音節と音節との関係において、前の音節が高まり、後の音節がそれより低くなるとか、またはその逆になるとか、あるいはほとんど高低がなく、平板に発せられるとかいう現象をさすのである。

ま、古事記に挿入されている「上」を仮りに日本語のアクセントの「高低」の「高」の意にとるとすれば、「ウヒヂニノカミ」と「スヒヂニノカミ」との「ニ」と「ノ」との二つの音節と音節との関係は、全く同一でなければならぬはずである。すなわち、この二神の名は、「ウヒヂニノカミ」「スヒヂニノカミ」となるべきこと、言うまでもないことである。しかるに、一を「上」とし、一を「去」とするがごときは、全く理解されないことである。「アナニヤシエヲトコヲ」「アナニヤシエヲトメヲ」においては、いずれも「上」とあるから、「エヲ」となる。これなどは、とにかく理解される。

しかるに、記伝は、次のごとく述べている。

宇比地邇上神、須比地邇去神、此の去声ただ一つあるは、比地邇てふ同言の二つならびたる、一つの邇は上声、一つの邇は去声にて、忽ちに音の異なる故なり。〔此の邇は土にて、本の声去なるを、比地邇神とつづくによりて、一つは上声となれゝば、上と附けたるは、他の例に同じきを、去と附けたる方は、本の声なれば、附くる例にはあらざれども、一つの上声に傚ひて読むことを慮りてなり。〕 (旧活字本「古事記伝」四〇頁)

伝は「須比智邇神」の「智」を、ここでは「地」に誤記してはいるが、もとより、この二神は、同一性格の対偶神である。「ヒヂニノカミ」は、記伝の言うとおり、「同言の二つならびたる」ものである。そして記伝は、「比地邇神とつづくによりて、一つは上声となれゝば、上と附け」と述べている。
それなら、「スヒヂニノカミ」もまた、「比智邇神とつづくにより」て、ひとしく上声となるべきはずではなかろうか。それを、「忽ちに音の異なる故なり」などと言うのは、宣長が、これらの「上」「去」などの挿入を正しいものと信じこんでいるためであろう。同言における「ニ」「ノ」なる二音節間に、二様のアクセントの生ずる理由は、どこに存するのであろうか。また、記伝は、「土」の声が、もと「去」であると言うが、「去」は尻下りのアクセントをいう。上代において、「土」を、はたして尻下りに発音していたであろうか。

和邇佐能邇袁、波都邇波、波陀阿可良氣美、志波邇波邇具漏岐由惠、美都具理能、曽能那聟都邇袁、云々。(中七十オ~七十一ウ)

の「邇」「波都邇」「志波邇」「邇具漏岐」「那聟都邇」などの「土」にせよ、「阿袁邇余志、那良袁須疑」(下六ウ)の「土」にせよ、すべては平板である。ただ、「ヒヂニノカミ」の場合は、「ヒヂニノカミ」と、「ニ」が高く発せられたのであろう。しかし、それは後世の人の推測にすぎないと思う。要するに、古事記の「上」とか「去」とかの四声の挿入は、シナの書に「平」「上」「去」「入」などの四声が付してあるのに倣い、漢学崇拝の念の強い後人のさかしらな続入と見るべきで、これによって、上代語のアクセントを推測しようとするがごときは、全く無謀な沙汰であろうと信ずる。また、徒労に属することでもあると信ずる。

クセントが、地方によって異なることは、いまさら言うまでもないが、時代によっても絶えず変遷する。たとえば、「アカトンボ」や「オツキサマ」などのアクセントは、明治時代と今日とでは、すでに違って来ている。また、今日の同じ東京語でも、たとえば「デンワ」「ヒバチ」、地名の「メジロ」「フジサン」などのアクセントは、人によって異なり、だいたい二つの型に分類されるが、その勢力は、ほとんど伯仲しているありさまである。いずれにせよ、現代語のアクセントをもって、上代語のアクセントを律しようとすることは、上述のごとく、きわめて無謀な話であり、したがって、古事記に插入されている「上」「去」などによって、上代語のアクセントを知ることなどは、絶対に不可能なことである。わたくしは、古事記に插入されている四声のしるしは、後人の続入として、これを無視してよいと思っている。



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