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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
故、其找上比賣隅、如二先期、美刀阿多波志綾。【此七字以音】故、其找上比賣隅、雖二率來、畏二其嫡妻須世理豐賣一而、其館レ生子隅、刺二挾木俣一而羮。故、名二其子一云二木俣突。亦名謂二御井突一也。此找十矛突、將レ婚二高志国之沼河比賣一幸行之時、到二其沼河比賣之家、歌曰、 夜知富許能 聟砲能美許登波 夜斯揺久爾 綾揺揺岐聟泥弖 登富登富斯 故志能久邇邇 佐加志賣蘚 阿理登岐加志弖 久波志賣蘚 阿理登伎許志弖 佐用婆比爾 阿理多多斯 用婆比邇 阿理加用婆勢 多知賀蘚母 伊揺陀登加受弖 淤須比蘚母 伊揺陀登加泥婆 蘚登賣能 那須夜伊多斗蘚 淤曾夫良比 和何多多勢禮婆 比許豆良比 和何多多勢禮婆 阿蘚夜揺邇 奴延波那伎 佐怒綾登理 岐藝斯波登與牟 爾波綾登理 聟豆波那久 宇禮多久母 那久那留登理加 許能登理母 宇知夜米許世泥 伊斯多布夜 阿揺波勢豆加比 許登能加多理 其登母 許蘚婆 爾、其沼河日賣、未レ開レ竿、自レ触歌曰、 夜知富許能 聟砲能美許等 怒延久佐能 賣邇志阿禮婆 和何許許呂 宇良須能登理敍 伊揺許曾婆 知杼理邇阿良米 能知波 那杼理邇阿良牟蘚 伊能知波 那志勢多揺比曾 伊斯多布夜 阿揺波世豆聟比 許登能加多理 其登母 許蘚婆 阿蘚夜揺邇 比賀聟久良婆 奴婆多揺能 用波伊傳那牟 阿佐比能 惠美佐聟延岐弖 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 阿和由岐能 和加夜流牟泥蘚 曾陀多岐 多多岐揺那賀理 揺多揺傳 多揺傳佐斯揺岐 毛毛那賀爾 伊波那佐牟蘚阿夜爾那古斐岐許志 夜知富許能 聟砲能美許登 許登能聟多理碁登母 許蘚婆 故、其夜隅、不レ合而、明日夜爲二御合一也。
読み下し文
故、其の找上比売は、先の期の如、美刀阿多波志都。【この七字、音を以ふ。】故、其の找上比売をば、率て来ましつれども、其の嫡妻須世理豐売を畏みて、其の生ませる子をば、木の俣に刺し挟みて返りましき。故、其の子の名を木俣神と云す。亦の名を御井神とも謂す。此の找千矛神、高志国の沼河比売を婚はむと幸行ししときに、其の沼河比売の家に到りて、歌ひたまひしく、 (二) 找千矛の 神の命は 找洲国 妻覓ぎかねて 遠遠し 越の国に 賢し女を ありと聞かして 細し女を ありと聞こして さ婚ひにあり立たし 婚ひに あり通はせ 大刀が緒も 未だ解かずて 襲をも 未だ解かねば 少女の 寝すや板戸を おそぶらひ 我が立たせれば ひこづらひ 我が立たせれば 青山に ぬえは鳴き さ野つ鳥 きぎしはとよむ 庭つ鳥 鶏は鳴く うれたくも 鳴くなる鳥か この鳥も うちやめこせね いしたふや 天馳せ使ひ 事の語り言も 此をば 爾、其の沼河日売、未だ戸を開かずて、内より歌ひけらく、 (三) 八千矛の 神の命 怒澂草の 女にしあれば 吾が心 浦洲の鳥ぞ 今こそは 千鳥にあらめ 後は 和鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 天馳せ使ひ 事の語り言も 此をば (四)青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の咲み栄え来て 栲綱の 白き腕 沫雪の 若やる胸を そ叩き 叩きまながり ま玉手 玉手さし纏き 股長に 寝は寝さむを あやに な恋ひきこし 找千矛の 神の命 事の語り言も 此をば 故、其の夜は合はさずて、明くる日の夜、御合したまひき。
丸山解説
☆記紀の歌謡は、万葉がなのうち、字音仮名のみを用いているが、記の清濁などの用い方は、記伝の言うような「おごそかに分けて書いている」ものではない。この部分の清濁混用を見るに、「麻岐」の「岐」は 「ギ」、「岐加志弖」の「岐」は「キ」。「用婆比」の「婆」は「バ」、「加用婆勢」の「婆」は「ハ」。「伊多斗」の「斗」は「ド」、他では「ト」。また、「美許登」「美許等」のごとく、「ト」に異なるかなを用いている類であって、その用字法は必ずしも、おごそかなものではない。記伝の説に迷わされてはならぬ所以である。 〔美刀阿多波志綾〕「みと」は「御処」。「くみど」に同じ。夫婦のこもり寝る処。「あたはす」は「婚はす」。「みとのまぐはひ」「くみどにおこす」などとひとしく、「交合す」の義。交合した。〔刺挾〕さしはさみ。古訓古事記は「挾」を「狭」に誤り刻す。〔御井突〕みゐのかみ。上代語の「井」は「泉」の意。「泉の神」であって、上代、泉を重要視したあらわれであろう。記伝に「此の神、処処に井を作りて、民の利をなしたまへる御功ありしに因りて、称へ奉れる御名なるべし。」とあるは、「井」の解釈を誤ったものであろう。〔高志國〕こしのくに。越の国。越前・越中・越後などの総称であるが、ここは越後をいう。今も新潟県に「古志郡」の郡名が残っている。ここの「越」は新潟県西頸城郡沼川郷のこと。この地に「奴奈川神社」がある。大国主神が出雲から越後まで通ったとは、時空を超越して神話の常。さて、「越し」は出雲の「高志」の条でも説いたごとく、中央から野山を越して行く地の称で、記伝は「山を越えて行く国なる故の名と云ふは、ひがごとなり。若し然らば古延とこそ云ふべけれ。」と説いているが、これこそひがごとである。シナで中央から野山を越してゆく南方の地を「越」といい、その地方を総称して「諸越」と呼び、わが国では、これを訓読して「もろこし」と言った。もし、記伝の説によるならば、「もろごえ」とでも呼ぶべきことになる。〔沼河比賣〕ぬなかはひめ。万十三の三二四七に「沼名河の底なる玉」とあり、「ぬ」は「瓊」の転。玉。「な」は「の」に同じ。「玉のように美しい川」の意から、美しい少女の意の名であろう。〔夜斯揺久爾〕大找洲の国。日本全土。〔佐加志賣〕かしこい女。〔久波志賣〕「くはし」は、美しい。美しい少女。
〔佐用婆比〕「さ」は接頭語。「よばひ」は「呼び合ひ」の約。男女が呼び合って、婚を求めること。求婚。〔阿理多多斯・阿理加用婆勢〕あり立たし・あり通はせ。「あり」は接頭語。立ち行かれ・通わせられ。〔淤須比〕襲。上古、男女ともに用いた一種の服。顔を隠すために、頭からかぶり、衣の裾まで垂れた長い布。〔那須〕寝す。万五の八〇二に「まなかひにもとなかかりて、安眠し奈佐ぬ」の「なす」である。「少女の寝ている部屋の板戸を」であって、記伝の「少女の鳴すや板戸を」ではない。「少女が板戸を鳴らす」では意をなさぬ。
〔淤曾夫良比〕「押そ振ら」に継続の意の接尾語「ふ」のついた動詞「おそぶらふ」の連用。押しゆるがし。ゆさぶり。〔比許豆良比〕「引き争ふ」の意の「ひこづらふ」の連用。強く引き。ひっぱり。万十三の三三〇〇にも「そは舟に綱孚りかけ、引豆良比」とある。〔奴延〕ここの「ぬえ」は「とらつぐみ」の異称。燕雀目ツグミ科。夜間、口笛を吹くような声を発して鳴く。源頼政の退治したという「ぬえ」ではない。〔佐怒綾登理〕「さぬつとり」ではない。「怒」は「ノ」の甲類。「さ」は接頭語。「野に住む鳥」の意で、「きぎし」すなわち「きじ」の枕詞のように用いた語。〔登與牟〕鳴きひびく。ひびくように鳴く。〔爾波綾登理〕庭つ鳥。庭に住む鳥の意で、「かけ」すなわち「にわとり」の枕詞のように用いた語。〔宇禮多久母〕「うれたく」は「うれたし」の連用。「心痛し」の約転。にくくも。いまいましくも。うらめしくも。〔宇知夜米許世泥〕「うち」は接頭語。「やめ」は止め。「こせ」は願望の意の動詞「おこす」(虔す)と同義の「こす」の命令形。「ね」は促すの意の助詞。止めて欲しねえ。記伝に、こちたき説明があるが、誤りである。〔伊斯多布夜〕諸説があって決定しがたいが、契沖らの説「石飛ぶや」の転とする説が最も妥当であろう。「石の飛ぶように速く」の意をもって、「天馳せ使ひ」に冠する枕詞と解しておく。〔阿揺波勢豆加比〕天を馳せ翔りて飛ぶ鳥のように速い使い。〔許登能加多理其登母許蘚婆〕「其」は下文みな「碁」。ここの「其」も音「ゴ」。事の語り言も此をば。これをば、昔から語り伝えられたことであるよ。恐らく、語り部が長い口誦の後に言う、定まりの文句であろう。それゆえ、長い歌謡の最後に、この文句が、記中、しばしば用いられている。〔怒延久佐能〕「怒」は「ノ」の甲類。「萎え草」の転。「なえしおれた草」のように、弱弱しい意から「女」にかかる枕詞。「な」は「の」に同じ。「ぬなと」「なみなと」「はやすひなと」「ここな奴」などの「な」は「の」の意。「な」が「ぬ」に転ずる例はない。
ゆえに「ぬえくさの」非。〔宇良須〕浦洲。浦渚。海辺。〔知杼理〕浦洲にすだく千鳥。真本等、字形により「知」を「和」に誤る。真本は、きわめて誤写の多い本であるのに、この「和」をとって、「我鳥」と解する人があるが、きわめて非。「いま、わが心は浦洲に飛び回る千鳥のように、騒いで、おちつかないが││」の意。〔那杼理〕和鳥。心のなごやかな、おちついた鳥。「ちどり」に対して言う。契沖らの「汝鳥」説は「我鳥」の誤りなるごとく、きわめて非。記伝の説「今こそ逢ひがたくて、かく浦洲の千鳥の如く、心の騒ぐとも、後には必ず逢ひ見て、心の平和べきと云ふなり。」が、最も正しい。〔那志勢多揺比曾〕死に給うことなかれ。〔阿蘚夜揺〕青山。草木の葉の青々と茂っている山。〔奴婆多揺能〕枕詞。万葉に「烏羽玉の」ともあり、「からすおうぎ・ひおうぎ」の実は烏の羽のように黒いことから、「黒」「夜」などに冠する。〔惠美佐聟延〕咲み栄え。朝日の、かがやかしく昇ることの比喩。〔多久豆怒能〕「栲綱の」の転。栲綱は白いから、「白」に冠する枕詞。「な」と「の」との同義なること、上述のとおり。「な」が「ぬ」に転ずることはない。「たくづぬの」は非。「怒」は「ノ」の甲類。〔多陀牟岐〕「腕」の古語。〔阿和由岐能〕沫雪の。一般的には「消」の枕詞としているが、ここでは「若やる胸」に冠している。「まだ固まらぬ若々しい胸」に、比喩的に冠したもの。〔曾陀多岐〕そっと叩き。〔揺那賀理〕「な」が「ぬ」に通ずるとの説は、恐らく非。「な」は「た」に通ずる。「またがり」か。「ももなが」参照。〔揺多揺傳〕「ま」も「たま」も美称。「手」の美称。下の「多麻伝」も同じ。〔佐斯揺岐〕差し纏き。手をさし出して巻き。互に抱き合い。〔毛毛那賀〕股長。股を長くのばすこと。〔伊波那佐牟蘚〕寝は寝さむを。寝ましょうものを。〔阿夜爾〕ひどく。むやみに。〔那古斐岐許志〕「きこし」は「聞こし」。「言ひ」の敬語。恋ひのたまふことなかれ。〔不レ合而〕あはさずて。婚はさずて。交合しないで。
田中孝顕 注釈

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