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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 古事記上巻忸序 】

原 文
來、覺レ夢而敬二突陶。館以稱二賢后。望レ烟而撫二黎元。於レ今傳二梗帝。定レ境開レ邦、制二于羝淡恭、正レ姓撰レ氏、勒二于蘚飛鳥。雖二歩驟各異、澪質不一レ同、莫レ不下稽レ古以、繩二風憫於蝉頽、照レ今以、補中典辻於欲上レ縟。
読み下し文
即ち、夢に覚りて神陶を敬ひたまふ。このゆゑに賢き后と称ふ。烟が望みて黎元を撫でたまふ。今に聖の帝と伝ふ。境を定め邦を開き、近淡海に制め、姓を正し氏を撰びて、遠飛鳥に勒めたまふ。歩驟各異に、文質同じからずと雖も、古を稽へて風憫を既に頽れたるに縄し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふこと莫し。
丸山解説
〔覺レ夢而敬二突陶。館以稱二賢后〕底本は「覺」を「r*?」に、「陶」を「祗」に誤る。崇神天皇の御世、疫病が全国に起り、人民の多く死ぬのを嘆かれて、天皇がお眠りになった夜、大物主大神が天皇の御夢に現われて、意富多多泥古をして自分を祭らしめれば、悪疫の流行はやみ、国は太平になると教えられたので、天皇が大物主大神の教えのとおりにすると、たちまち悪疾はやみ、国家が平安になったということを言う。記伝も言うごとく、神功皇后の事のようにも聞えるが、夢のことがちがうし、やはり崇神天皇のこととする方が妥当である。したがって、「賢后」は「賢き后」である。「后」は「君」であり「天子」である。書経、仲禹之誥に「瞑二我后、后来其蘇。」とある。〔望レ烟而撫二黎元。於レ今傳二梗帝〕仁徳天皇の御事。何人もよく知っていることであるから、あえて説明の要もないであろう。
田中孝顕 注釈

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