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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
故爾、問二其大國突、今汝子事代主突、如レ此白訖。亦有二可レ白子一乎。於レ是、亦白之、亦我子有二建御名方突。除レ此隅無也。如レ此白之間、其建御名方突、千引石蟄二手末一而來言、誰來二我國一而、竄竄如レ此物言。然、欲レ爲二│力競。故、我先欲レ孚二其御手。故、令レ孚二其御手一隅、來孚二│成立氷、亦孚二│成劔筑。故爾、懼而退膠居。爾、欲レ孚二其建御名方突之手、乞歸而孚隅、如レ孚二若葦、樹批而投離隅、來膩去。故、膊往而聽二│到科野國之洲監恭、將レ殺時、建御名方突白、恐、莫二殺我。除二此地一隅、不レ行二他處。亦不レ蕋二我父大國主突之命。不レ蕋二找重事代主突之言。此葦原中國隅、隨二天突御子之命一獻。
読み下し文
故爾、其の大国主神に問ひたまひしく、「今汝が子事代主神、かく白し訖りぬ。亦白すべき子ありや。」と、とひたまひき。ここに、亦白しけらく、「亦我が子建御名方神あり。此を除きては無し。」と、かく白しし間に、其の建御名方神、千引石を手末に蟄げ来て言ひけらく、「誰ぞ、我が国に来て、忍び忍び、かく物言ふ。然らば力競せむ。故、我先づ其の御手を取らむ。」と、いふ。故、其の御手を取らしめければ、即に立氷に取り成し、亦剣の刃に取り成しつ。故爾、懼れて退き居り。爾に、其の建御名方神の手を取らむと、乞ひ帰して取れば、若葦を取るが如、樹み批ぎて投げ離ちたまひければ、即ちに逃げ去にき。故、追ひ往きて、科野国の洲羽の海に迫め到きて、殺さむとしたまふ時に、建御名方神、白しけらく、「恐し、我をな殺したまひそ。此地を除きては、他し処に行かじ。亦我が父大国主神の命に違はじ。找重事代主の言にも違はじ。此の葦原の中つ国は、天つ神の御子の命の随に献らむ。」と、まをしき。
丸山解説
〔建御名方突〕たけみなかたのかみ。この神、上の「大国主神の子孫」の条でも述べたごとく、そこには漏らしている。旧事紀には「娶二高志沼河姫、生二一男児建御名方神。坐二信濃国諏方郡諏方神社。」とあるが、記伝も言うごとく、この書のことであるから、必ずしも信をおくに足りぬ。「建」も「御」も美称。「名方」の意は、紀に「名形大娘皇女」などの名も見えているが、未詳。〔手末〕たなすゑ。手の先。「な」と「の」とは常に通ずる。〔竄竄〕しのびしのび。こそこそと。記伝の訓「しぬびしぬび」は誤り。江戸時代の国学者は「の」を「ぬ」と誤訓した。記伝が「志能夫と云ふは、奈良の末よりのことなり。」などと述べているが、なんらの根拠をも示していない。〔立氷〕たちひ。「たちび」の訓は非。「立ちたる氷」の義で、下から立っている氷。上から垂れている氷を「垂氷」(つらら)というに対する語。〔劔筑〕つるぎのは。底本は「つるぎば」、延本は「つるぎのやいば」と訓じているが、「つるぎのは」と訓ずることとする。いったん、立氷に変化せしめたのを、さらに剣の刃に変化せしめたのである。「氷の刃」などの語もある。〔孚成〕とりなし。取って変化せしめ。「大蛇退治」の条に出ている。
田中孝顕 注釈

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