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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 神武天皇 】

原 文
故、天皇紡後、其庶兄當藝志美美命、娶二其嫡后伊須氣余理比賣一之時、將レ殺二其三弟一而謀之間、其御督伊須氣余理比賣、患苦而、以レ歌令レ知二其御子等一。歌曰、 佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜揺 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須 樸、歌曰、 宇泥備夜揺 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流 於レ是、其御子聞知而驚、乃爲レ將レ殺二當藝志美美一之時、突沼河耳命、曰二其兄突八井耳命一、那泥【此二字、以レ音。】汝命、持レ兵入而、殺二當藝志美美一。故、持レ兵入以、將レ殺之時、手足和那那岐弖【此五字、以レ音。】不レ得レ殺。故爾、其弟突沼河耳命耳命、乞二│孚其兄館レ持之兵一、入殺二當藝志美美一。故亦、稱二其御名一。謂二建沼河耳命一。爾、突八井耳命、讓二弟建沼河耳命一曰、吾隅不レ能レ殺レ仇。汝命蝉得レ殺レ仇。故、吾雖レ兄、不レ宜レ爲レ上。是以、汝命爲レ上、治二天下一。僕隅扶二汝命一、爲二忌人一而仕奉也。
読み下し文
故、天皇の崩りましし後、其の庶兄当芸志美美命、其の嫡后伊須気余理比売に娶けし時に、其の三はしらの弟を殺さむとして、謀りし間に、其の御祖伊須気余理比売、患苦ひて、歌以て其の御子等に知らしめたまひき。歌曰ひたまひしく、 (二一) 狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす 樸、歌曰ひたまひしく、 (二二) 畝傍山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる 是に、其の御子たち聞き知りて驚き、乃ち当芸志美美を殺さむとせし時に、神沼河耳命、其の兄神八井耳命に曰しけらく、「那泥【此の二字、音を以ふ。】汝が命、兵を持り入りて、当芸志美美を殺せ。」と、まをしけり。故、兵を持り入りて、殺さむとせし時に、手足和那那岐弖【此の五字、音を以ふ】殺すことを得ざりき。故爾に、其の弟神沼河耳命、其の兄の持てる兵を乞ひ取りて、入りて当芸志美美を殺しけり。故亦、其の御名を称へて、建沼河耳命と謂しき。爾に、神八井耳命、弟建沼河耳命に譲りて曰しけらく、「吾は仇を殺すこと能はず。汝が命既に仇を殺すことを得たり。故、吾は兄なれども、上と為るべからず。是を以て、汝が命は上と為りて、天の下を治しめせ。僕は汝が命を扶けて忌人と為りて仕へ奉らむ。」と、まをしけり。
丸山解説
〔庶兄〕「まませ」と訓ずるもよいが、「ままいろせ」と訓じておく。異母兄。〔嫡后〕「大后」に同じ。真本等「嫡」を「適」に作る。この二字は通用するが、「嫡」の方がより適している。よって、底本のままとする。〔娶〕「たはく」と訓ずるのは、不義だからである。〔御督〕母親。〔佐韋賀波用〕「用」は「より」の古語。「ゆ」とも言う。〔佐夜藝〕「さやぐ」の連用。「さやぐ」は、ざわめく。ざわざわと音がする。「騒ぐ」に通ずる語。〔久毛登韋〕雲と居。雲のままでいる。この「とゐ」を万二の二二〇「跡位浪」の「とゐ」の意に解する人もあるが、この「位」は「倍」の誤りとする説もあり、「十重浪」の意ともいう。よって、記伝の説に従う。
田中孝顕 注釈

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