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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 崇神天皇 】

原 文
樸、此之御世、大豐古命隅虔二高志蕈、其子建沼河別命隅虔二東方十二蕈一而、令レ和二│徘其揺綾漏波奴【自レ揺下五字、以レ音。】人等、樸、日子坐王隅虔二旦波國、令レ殺二玖賀耳之御笠。【此人名隅也。玖賀二字、以レ音。】 故、大豐古命、罷二│往於高志國一之時、燮二腰裳一少女、立二山代之幣羅坂一而、歌曰、 古波夜 美揺紀伊理豐古波夜 美揺紀伊理豐古波夜 意能賀袁袁 奴須美斯勢牟登 斯理綾斗用 伊由岐多賀比 揺巫綾斗用 伊由岐多賀比 宇聟聟波久 斯良爾登 美揺紀伊理豐古波夜 於レ是、大豐古命、思レ怪羮レ馬、問二其少女一曰、汝館レ謂之言、何言。爾、少女答曰、吾勿レ言。唯爲二詠歌一耳。來不レ見二其館如一而忽失。故、大豐古命、更裝參上、樽二於天皇。
読み下し文
樸、此の御世に、大豐古命をば高志の道に遣はし、其の子、建沼河別命をば東の方十二道に遣はして、其の麻都漏波奴【麻より下の五字、音を以ふ。】人等を和徘さしめ、樸、日子坐王をば旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠【此は人の名なり。玖賀の二字、音を以ふ。】を殺さしめたまひき。故、大豐古命、高志の国に罷り往きし時に、腰裳を服せる少女、山代の幣羅坂に立ちて、歌曰ひけらく、 (二三) こはや 御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ門よ い往き違ひ 前つ門よ い往き違ひ 窺はく 知らにと 御真木入日子はや 是に、大豐古命、怪しと思ひて馬を返し、其の少女に問ひて曰ひけらく、「汝が謂へる言は何にふ言ぞ。」と、いふ。爾、少女答へて曰ひけらく、「吾は言はず。唯詠歌ひしのみ。」と、いひて、即ちに其の所如も見えずて忽ち失せぬ。故、大豐古命、更に還り参上りて天皇に請しけり。
丸山解説
〔高志蕈〕後世の北陸道。越前・越中・越後の総称。加賀・能登などは、のちに越前から分かれたもの。〔東方十二蕈〕紀には「東方八道」とある。これは関東八か国。十二道は、明瞭でないが、下文に相津(会津)とあるから、後世の東海道の意ではなく、記伝も言うごとく、伊勢・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・総(上総・下総)・常陸・陸奥の十二か国か。〔日子坐王〕既出。紀には「丹波道主命」を丹波に遣わしたとある。記の「丹波比古多多須美知能宇斯王」すなわち「美知能宇志王」 に当たり、日子坐王の御子である。恐らく紀の伝が正しいであろう。なお、この辺、真本は誤写に満ちている。たとえば「日子坐王」を「四坐王」などとしている。
田中孝顕 注釈

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