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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 神武天皇 】

原 文
故、突倭伊波禮豐古命、從二其地一迴幸、到二熊野村一之時、大熊、髣出入、來失。爾、突倭伊波禮豐古命、倏忽爲二蘚延、及御軍皆蘚延而伏。【蘚延二字、以レ音。】此時、熊野高倉下、【此者人名。】齎二一熹刀一到レ於二天突御子之伏地一而獻之時、天突御子、來寤起、詔二長寢乎。故、受二│孚其熹刀一之時、其熊野山之荒突、自皆爲二切仆。爾、其惑伏御軍、悉寤起之。故、天突御子、問下獲二其熹刀一之館由上。高倉下答曰、己夢云、天照大突・高木突、二柱突之命以、召二建御雷突一而詔、葦原中國隅、伊多玖佐夜藝帝阿理豆理。【此十一字、以レ音。】我之御子等、不徘坐良志。【此二字、以レ音。】其葦原中國隅、專汝館二言向一之國故、汝建御雷突可レ降。爾、答曰、僕雖レ不レ降、專有下徘二其國一之熹刀上可レ降。【此刀名、云二佐士布綾突、亦名云二甕布布綾突。亦名布綾御魂。此刀者、坐二石上突宮一也】降二此刀一寔隅、穿二高倉下之倉頂、自レ其墮入。故、阿佐米余玖【自レ阿下五字、以レ音。】汝孚持、獻二天突御子。故、如二夢辻一而、旦見二己倉一隅、信有二横刀。故、以二是熹刀一獻耳。
読み下し文
故、神倭伊波礼豐古命、其地より回り幸でまして、熊野村に到りたまへる時に、大きなる熊、髣に出で入りて、即ちに失せぬ。爾に、神倭伊波礼豐古命、倏忽に遠延為し、及御軍皆遠延て伏しき。【遠延の二字、音を以ふ。】此の時、熊野の高倉下、【此は人の名。】一ふりの横刀を齎ちて、天つ神の御子の伏せる地に到りて献りし時に、天つ神の御子、即ちに寤め起きたまひ、「長寝しつる乎。」と詔りたまひき。故、其の横刀を受け取りたまひし時に、其の熊野の山の荒ぶる神、自ら皆切り仆さえき。爾、其の惑ひ伏せる御軍、悉に寤め起きたりき。故、天つ神の御子、其の横刀を獲し所由を問ひたまへば、高倉下答へて曰しけらく、「己の夢に云ひしく、天照大神・高木神、二柱の神の命以て、建御雷神を召して詔りたまひしく、『葦原の中つ国は、伊多玖佐夜芸帝阿理豆理。【此の十一字、音を以ふ。】我が御子等、不平み坐す良志。【此の二字、音を以ふ。】其の葦原の中つ国は、専ら汝が言向けし国なれば、汝建御雷神降るべし。』と、のりたまひき。爾、答へて曰しけらく、『僕降らずとも、専ら其の国を平せし横刀あれば降しなむ。』と、まをしき。【此の刀の名は、佐士布都の神と云ひ、亦の名は、甕布都の神と云ふ。亦の名は布都の御魂。この刀は、石上の神宮に坐すなり。】『此の刀を降さむ状は、高倉下の倉の頂を穿ちて、其より堕し入れむ。故、阿佐米余玖、【阿より下の五字、音を以ふ。】汝取り持ちて、天つ神の御子に献れ。』と、のりたまひき。故、夢の教への如に、旦己が倉を見しかば、信に横刀ありき。故、是の横刀を以て献りし耳。」 と、まをしき。
丸山解説
〔熊野〕「くまぬ」の訓は非。「木間野」の意。森林と森林との間の平地をいう。出雲にもある。ここは、紀伊国、牟婁の地の総称。〔髣出入〕ほのかに出で入る。「髣」を諸本「髪」に作る。字形による誤写であること明らかであるから、いま訂正する。ほのかに、すうっと山から出て山に入る。「熊野」の文字によって生じた伝説か。〔蘚延〕「をゆ」の連用形。妖気に悩む。〔高倉下〕高い倉の下に住んでいたことによる名であろう。〔齎〕「匱」は俗字。延本・底本等の正字「齎」を、真本等の俗字「匱」を正しいと見て、わざわざ「匱」になおした研究書がある。〔己夢〕底本は「己」を「巳」に誤る。「いめ」は「ゆめ」の古語。「寝目」の義。また、「寝見」の約ともいう。
田中孝顕 注釈

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