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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
爾、天皇、亦頻詔二倭潼命、言二│向│和│徘東方十二蕈之荒夫琉突唹庄綾樓波奴人等一而、副二吉備臣等之督、名御午友耳潼日子一而虔之時、給二比比羅木之八尋矛。【比比羅三字、以レ音。】故、受レ命罷行之時、參二│入伊勢大御突宮、拜二突咆廷。來白二其姨倭比賣命一隅、天皇蝉館二│以│思吾死乎。何整二│虔西方之惡人等一而、羮參上來之間、未レ經二幾時、不レ賜二軍衆、今濘徘二│虔東方十二蕈之惡人等。因レ此思惟、憑館二│思│看吾蝉死一焉。患泣罷時、倭比賣命、賜二草那藝劔、【那藝二字、以レ音。】亦賜二御嚢一而詔、若有二緝事、解二枴嚢口。故、到二尾張國、入二│坐尾張國芟之督美夜受比賣之家、乃雖レ思レ將レ婚、亦思二裝上之時將一レ婚、期定而、幸二于東國、悉言二│向│和│徘山河荒突唹不レ伏人等。
読み下し文
爾に、天皇、亦頻て倭建命に詔りたまひけらく、「東の方十二道の荒夫琉神及摩都楼波奴人等を言向け和平せ。」と、のりたまひて、吉備臣等の祖、名は御午友耳建日子を副へて、遣はしたまふ時に、比比羅木の八尋矛を給ひたり。【比比羅の三字、音を以ふ。】故、命を受けて、罷り行でます時に、伊勢の大御神の宮に参入りまして、神の朝廷を拝みたまひ、即て其の姨倭比売命に白したまひけらくは、「天皇、既く吾を死ねとや思ほすらむ。何なればか、西の方の悪はぬ人等を撃ちに遣はしたまひて、 返り参上り来し間、未だ幾時も経ざるに、軍衆をも賜らずて、今濘東の方十二道の悪はぬ人等を平けには遣はしたまふらむ。此に因りて思惟へば、猶吾に既く死ねとは思ほし看すなりけり。」と、まをして、患ひ泣かして罷ります時に、倭比売命、草那芸の剣【那芸の二字、音を以ふ。】を賜ひ、亦御嚢を賜ひて、詔りたまひけらく、「若し急の事あらば、枴の嚢の口を解きたまへ。」と、のりたまひき。故、尾張国に到りまして、尾張の国造の祖なる美夜愛比売の家に入り坐しき。乃ち婚ひせむと思ほししかども、亦還り上らむ時にこそ婚ひせめと思ほし、期り定めて、東の国に幸でまして、悉に山河の荒ぶる神及伏はぬ人等を言向け和平したまひき。
丸山解説
〔頻〕しきて。頻りに。重ねて。万十二の三〇二四「敷而恋ひつつ」など、その他多し。〔御午友耳建日子〕みすきともみみたけひこ。紀の「吉備武彦」に当たる。「午友」の意は懿徳天皇の段に出ている。「耳」は御身。「潼日子」は、健き男子。紀では、この人のほかに、大伴武日連や七掬脛などを副えたとある。〔比比羅木之八尋矛〕ひひらぎのやひろほこ。柊の木を柄とした長い矛。真本は「矛」を「弟」に誤る。〔突咆廷〕かみのみかど。真本は、「廷」を「苒」に作る。「庭」の意。「廷」に同じ。神官の御門。
田中孝顕 注釈

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