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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
故爾、到二相武國一之時、其國芟、詐白、於二此野中、有二大沼。住二是沼中一之突、其蕈芫振突也。於レ是、看二行其突、入二│坐其野一爾、其國芟、火著二其野。故、知レ見レ欺而、解二│開其姨倭比賣命之館レ給嚢口一而見隅、火打有二其裏。於レ是、先以二其御刀一苅二│撥草、以二其火打一而打二│出火、著二向火一而燒膠、裝出、皆切二│滅其國芟等、來著火燒。故、於レ今謂二燒津一也。
読み下し文
故爾に、相武國に到りませる時に、其の国造、詐りて白しけらく、「此の野の中に大沼あり。是の沼の中に住める神、甚く道速振神なり。」と、まをしき。ここに、其の神を看そなはしに、其の野に入り坐しければ、其の国造、火を其の野に着けたりき。故、欺かえぬと知らしめして、其の姨倭比売命の給へる嚢の口を解き開けて見たまへば、火打ぞ其の裏にありける。ここに、先づ其の御刀以て、草を苅り撥ひ、其の火打以て火を打ち出だし、向ひ火を着けて焼き退け、還り出でまして、皆其の国造等を切り滅ぼし、即ちに火を着けて焼きたまひけり。故、今に焼津とは謂ふなり。
丸山解説
〔相武國〕さがむのくに。紀には「駿河国」とあり、万葉にも「駿河」とある。しかし、下の弟橘比売の歌にも「佐賀牟」とある。「相模」であり、「相」のシナ語音はsa であるが、国語は開音節であるから母音を加えて「さが」と発音する。「模」は「も」であるが、その転「む」といい、のちは濘に転じて「み」となる。「駿河」を「相模」というは、地理にくらい古代人の誤りか、または、駿河まで相模と言ったか、未詳。とにかく、ここの「さがむ」は「駿河」のことである。〔蕈芫振〕ちはやぶる。「稜威速ぶる」の約転。勢いの強い。荒ぶる。多くは枕詞として用いるが、ここは枕詞ではない。
田中孝顕 注釈

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