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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
到二│坐尾津電一松之許、先御食之時、館レ忘二其地一御刀、不レ失憑有。爾、御歌曰、 袁波理邇 多陀邇牟加幣流 袁綾能佐岐那流 比登綾揺綾阿勢袁 比登綾揺綾 比登邇阿理勢婆 多知波氣揺斯袁 岐奴岐勢揺斯袁 比登綾揺綾阿勢袁 自二其地一幸、到二三重村一之時、亦詔之、吾足如二三重勾一而甚疲。故、號二其地。謂二三重。自レ其幸行而、到二能煩野一之時、思レ國以歌曰、 夜揺登波 久爾能揺本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐夜揺 碁母禮流夜揺登志 宇流波斯 又、歌曰、 伊能知能 揺多豆牟比登波 多多美許母 幣具理能夜揺能 久揺加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古 此歌隅、思國歌也。又、歌曰、 波斯豆夜斯 和岐幣能聟多用 久毛韋多知久母 此隅片歌也。此時、御病甚緝。爾、御歌曰、 袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 綾流岐能多知 曾能多知波夜 歌竟、來紡。
読み下し文
尾津の前なる一つ松の許に到りませるに、先に御食したまへる時に、其地に忘れたまへる御刀、失せずて、猶ありき。爾、御歌曰みしたまひけらく、 (三〇) 尾張に ただに向かへる 尾津の前なる 一つ松あせを 一つ松 人にありせば 刀佩けましを 衣着せましを 一つ松あせを 其地より幸でまして、三重の村に到りませる時に、亦詔りたまひけらく、「吾が足、三重の勾如して、甚く疲れぬ。」と、のりたまひき。故、其地を号づけて、三重と謂ふ。其より幸行でまして、能煩野に到りませる時に、国を思ばして、歌曰ひたまひけらく、 (三一) 大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山 隠れる 大和し 麗し 又、歌曰ひたまひけらく、 (三二) 命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊橿が葉を 髻華に插せ その子 此の歌は、思国歌なり。 又、歌曰ひたまひけらく、 (三三) はしけやし 我家の方よ 雲居立ち来も 此は、片歌なり。此の時、御病甚急になりぬ。爾に、御歌よみして、曰りたまひけらく、 (三四) 少女の 床の辺に 我が置きし 剣の刀 その刀はや 歌ひ竟へたまひて、即て崩りましぬ。
丸山解説
〔尾津電〕をつのさき。もとの伊勢国桑名郡の尾津郷。今の三重県桑名郡多度村・古浜村の辺に当たる。伊勢湾に面した地。いま、古浜村大字御衣野に、日本武尊をまつる御衣野神社がある。〔一松〕ひとつまつ。一本松。孤松。いま、その跡に剣掛の松というのがある。〔御食之時〕みをししたまへるとき。諸本に「之」の字がない。真本・延本のあるに従う。お食事をとれた時。〔多陀邇牟加幣流〕直に向かへる。まっすぐに向かっている。〔阿勢袁〕延本は「勢」を「藝」に誤る。下も同じ。吾兄を。「吾兄よ」の意。親しんで呼ぶ語。紀には「阿波例」とある。
田中孝顕 注釈

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