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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 神武天皇 】

原 文
故爾、於二宇陀一有二兄宇聟斯・【自レ宇以下三字、以レ音。下效レ此也。】弟宇聟斯二人。故、先虔二八咫烏、問二二人一曰、今天突御子幸行。汝等仕奉乎。於レ是、兄宇聟斯、以二鳴鏑一待二│射羮其使。故、其鳴鏑館レ落之地、謂二訶夫羅前一也。將二待整一云而、聚レ軍然、不レ得レ聚レ軍隅、欺二│陽仕奉一而、作二大殿、於二其殿触一作二押機一待時、弟宇聟斯先參向、型曰、僕兄兄宇聟斯、射二│羮天突御子之使、將二│爲待攻一而、聚レ軍、不レ得レ聚隅、作レ殿、其触張二押機、將二待孚。故、參向顯白。爾、大汽苣等之督蕈臣命、久米直等之督大久米命二人、召二兄宇聟斯、罵詈云、伊賀【此二字、以レ音。】館二作仕奉一於二大殿触一隅、意禮【此二字、以レ音。】先入、明下│白其將レ爲二仕奉一之寔上而、來握二熹刀之手上、矛由氣、【此二字、以レ音。】矢刺而膊入之時、乃己館レ作押見レ打而死。爾、來澡出斬散。故、其地謂二宇陀之血原一也。
読み下し文
故爾に、宇陀に兄宇聟斯・【宇より以下の三字、音を以ふ。下此に效ふ。】弟宇聟斯二人ありけり。故、先づ八咫烏を遣はして、二人に問はしめて曰りたまひしく、「今天つ神の御子幸行でませり。汝等仕へ奉らむや。」と、のりたまひき。是に、兄宇聟斯、鳴鏑を以て其の使ひを待ち射返しき。故、其の鳴鏑の落ちたりし地を、訶夫羅前とは謂ふなり。待ち撃たむと云ひて、軍を聚めしかども、軍を聚め得ざりしかば、仕へ奉らむと欺陽りて、大殿を作り、其の殿内に押機を作りて待ちける時に、弟宇聟斯先づ参向かへて、拝みて曰しけらく、「僕が兄兄宇聟斯、天つ神の御子の使ひを射返し、待ち攻めむと為て、軍を聚めしかども、聚め得ざりければ、殿を作り、其の内に押機を張りて、待ち取らむとす。故、参向かへて、顕はし白す。」と、まをしき。爾に、大伴連等の祖道臣命、久米直等の祖大久米命の二人、兄宇聟斯を召して、罵詈りて云ひけらく、伊賀【此の二字、音を以ふ。】作り仕へ奉れる大殿の内には、意礼【此の二字、音を以ふ。】先づ入りて、其の仕へ奉らむとする状を明かし白せ。」と、いひて、即ちに横刀の手上握り、矛由気、【此の二字、音を以ふ。】矢刺して、追ひ入れし時に、乃ち己が作れる押に打たえて死にき。爾、即ちに控き出だして、斬り散りき。故、其地を宇陀の血原とは謂ふなり。
丸山解説
〔兄宇聟斯・弟宇聟斯〕「うかし」は上述の宇陀郡宇賀志村の古称。その地の土豪兄弟〔訶夫羅前〕宇陀の地であろうが、所在、未詳。〔押機・押〕今日言う「おとし」。〔蕈臣命〕初めの名は日臣命。皇軍の進路を開いたので、この名を賜わる。〔久米直〕底本の訓「あたへ」は誤り。既出。〔大久米命〕上に「天津久米命」とある。参照のこと。〔罵詈〕のる。「ののしる」の古語。大声で叫ぶ。
田中孝顕 注釈

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