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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 仲哀天皇 】

原 文
帶中日子天皇、坐二穴門之豐浦宮唹筑紫訶志比宮、治二天下一也。此天皇、娶二大江王之女大中津比賣命、生御子、香坂王・竄熊王。【二柱】樸、娶二息長帶比賣命。是大后生御子、品夜和氣命。筱大鞆和氣命。亦名品陀和氣命。【二柱】此太子之御名、館三以茶二大鞆和氣命一隅、初館レ生時、如レ鞆宍、生二御腕一故、著二其御名。是以、知下坐二腹中一知上レ國也。此之御世、定二淡蕈之屯家一也。
読み下し文
帯中日子天皇、穴門の豊浦の宮及筑紫の訶志比の宮に坐しまして、天の下を治しめしたまふ。此の天皇、大江王の女大中津比売命に娶ひて、生みませる御子、香坂王・忍熊王。【二柱】又、息長帯比売命に娶ひたまひき。是の大后の生みませる御子、品夜和気命。次に大鞆和気命。亦の名は、品陀和気命。【二柱】此の太子の御名に、大鞆和気命と負はせる所以は、初め生れましし時に、鞆如せる宍、御腕に生りし故に、其の御名には着けまつれるなり。是を以て、腹中に坐しまして、国を知しめしたまへること知らえたり。此の御世に淡道の屯家を定めたまひき。
丸山解説
〔穴門之豐浦宮〕あなとのとよらのみや。「あなど」の訓の非なること、上に述べてある。「あなと」は後に「長門」と呼ぶ。和名抄に「長門国豊浦(止与良)郡」とある地。その地にあった宮殿。今も「とよら」と呼ぶ。「とようら」の省音。〔訶志比宮〕かしひのみや。紀は「橿日宮」に作る。もとの筑前国糟屋郡香椎村大字香椎の地。今の福岡市の香椎町。その地にあった宮殿。今、この地に香椎宮があり、仲哀天皇・神功皇后をまつる。
田中孝顕 注釈

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