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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 仲哀天皇 】

原 文
故、備如二辻覺一整レ軍、雙レ焙、度幸之時、恭原之魚、不問大小、悉茶二御船一而渡。爾、順風大起、御焙從レ浪。故、其御焙之波瀾、押二│騰新羅國、蝉到二夜國。於レ是、其國王、畏惶奏言、自レ今以後、隨二天皇命一而、爲二御馬甘、譌レ年雙レ焙、不レ乾二焙腹、不レ乾二杷珸、共二│與天地、無膠仕奉。故、是以、新羅國隅、定二御馬甘、百濟國隅、定二渡屯家。爾、以二其御杖、衝二│立新羅國王之門。來以二豈江大突之荒御魂、爲二國守突一而、祭鎭裝渡也。
読み下し文
故、備に教へ覚しの如くにして、軍を整へ焙を雙めて、度り幸でます時に、海原の魚ども・大きなるも小さきも、悉に御焙を負ひて渡しまつりき。爾に、順風大りに起きて、御焙、浪の従にすすみけり。故、其の御焙の波瀾、新羅の国に押し騰りて、既に国の半らまで到りき。ここに、其の国王、畏ぢ惶みて奏言しけらく、「今より以後、天皇の命の随に、御馬甘と為りて、年の毎に焙を雙めて、焙腹を乾さず、杷珸を乾さず、天地の共与、無退に仕へ奉らむ。」と、まをしき。故、ここをもて、新羅の国をば、御馬甘と定めたまひ、百済の国をば、渡の屯家と定めたまひき。爾に、其の御杖を新羅の国王の門に衝き立てたまひき。即て墨江の大神の荒御魂を国守りの神と為て、鎮め祭りて、還り渡りましぬ。
丸山解説
〔茶二御焙一而渡〕みふねをおひてわたしまつりき。底本の訓「わたりき」には従わぬ。大小の魚が、御焙を負うて、皇軍を渡しまつったのである。〔順風〕おひて。底本の訓「おひかぜ」には従わぬ。「て」は「ち」の転。神代紀、下、一書に「迅風」とある。焙をうしろから吹き送る風。順風。〔新羅〕しらぎ。「しらき」と読むのがよいと思うが、習慣読みに従う。万十五の三六九六に「新羅奇」、出雲風土記、意宇郡に「志羅紀」、姓氏録に「新良貴」などとある。三韓の一なる辰韓の一部。西紀前後の頃から強大となり、朴赫居世によって、今の韓国の東南部に建国。七世紀中、高麗・百済を併せて半島を統一したが、九三五年、高麗によって滅ぼされた。五十六王、九百九十三年続く。〔國王〕こにきし。韓語で「王」の意。「こきし」ともいう。北史、百済伝に「百済王、云々。 百姓為二嗹吉支。夏言王也。」とある。〔御馬甘〕みまかひ。「甘」は「飼」「養」に同じ。上に出ている。
田中孝顕 注釈

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