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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 仲哀天皇 】

原 文
故、其政未レ竟之間、其懷姙臨籥。來爲レ鎭二御腹、孚レ石以、纏二御裳之腰一而、渡二筑紫國、其御子隅阿禮坐。【阿禮二字、以レ音。】故、號二其御子生地、謂二宇美一也。亦館レ纏二其御裳一之石隅、在二筑紫國之伊斗村一也。
読み下し文
故、其の政の未だ竟へたまはざる間に、其の懐姙ませるみこ、産れまさむとせり。即、御腹を鎮めたまはむために、石を取らして、御裳の腰に纏かして、筑紫国に渡りましてぞ、其の御子は阿礼坐しける。【阿禮の二字、音を以ふ。】故、其の御子を生みたまへる地を号づけて、宇美とは謂ふなり。亦、其の御裳に纏かせる石は、筑紫国の伊斗村に在り。
丸山解説
〔政〕まつりごと。一般に「祭事」の意とするが、百官が朝廷に仕え奉る事、すなわち「行政」の意であろう。ここでは、三韓における行政が、まだ完全に終らないことをいう。〔爲レ鎭二御腹〕みはらをしづめたまはむために。宣長は、「いはひたまはむために」と訓ずべしと言うが、しかし、紀によれば、新羅へ渡られる前のことである。故に、胎中の御子を、事の終って帰る日まで、胎中にとどまるようにと、石を腰に插んで押さえたのである。だから、「しづむ」の訓が妥当である。神功紀、摂政前に「適当二皇后之開胎。皇后、則孚レ石插レ腰而祈曰、事竟還日産二於枴土。」とある。
田中孝顕 注釈

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