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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 仲哀天皇 】

原 文
亦、到二│坐筑紫末羅縣之玉嶋里一而、御二食其河邊一之時、當二四月之上旬一爾、坐二其河中之礒、拔二│孚御裳之絲、以二礦粒一爲レ窖、釣二其河之年魚。【其河名謂二小河。亦其礒名謂二勝門此賣一也。】故、四月上旬之時、女人、拔二裳絲、以レ粒爲レ窖、釣二年魚、至二于今一不レ絶也。
読み下し文
亦、筑紫の末羅県の玉島の里に到り坐して、其の河の辺に御食したまへる時しも、四月の上旬に当たりしかば、其の河中の礒に坐して、御裳の糸を抜き取り、飯粒を餌と為て、其の河の年魚を釣らしたまひき。【其の河の名を小河と謂ふ。亦其の礒の名を勝門比売と謂ふ。】故、四月の上旬の時、女人、裳の糸を抜き、粒を餌と為て、年魚を釣ること、今に絶えざるなり。
丸山解説
〔末羅縣〕まつらがた。「まつらあがた」の消音。「あ」は、上の「ら」の音に吸収されて消失する。肥前国の旧郡名。和名抄は「万豆良」と訓じ、郷十一、駅五を管す。明治に入り、東・西・南・北の四郡に分け、東・西を佐賀県に、南・北を長崎県の管下に属せしめた。因みに、万五の八六八「麻都良我多」は「松浦潟」であり、唐津湾の辺であろう。〔玉嶋里〕たましまのさと。今の佐賀県東松浦郡玉島町辺の古称。松浦佐用姫によって名高い領巾振山も、この地にある。なお、「嶋」の文字は、真本等に拠る。延本は「島」に作り、底本は「嶌」に作る。〔其河〕そのかは。前項の玉島町を流れる川。「玉島川」とも「松浦川」とも言う。この川のほとりに玉島神社があり、神功皇后をまつる。
田中孝顕 注釈

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