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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 応神天皇 】

原 文
天皇、聞二│看日向國跳縣君之女、名髮長比賣、其顏容麗美、將レ使而、喚上之時、其太子大雀命、見三其孃子泊二于難波津一而、感二其姿容之端正、來誂二│屁建触宿斑大臣、是自二日向一喚上之髮長比賣隅、樽二│白天皇之大御所一而、令レ賜レ於レ吾。爾、建触宿斑大臣、樽二大命一隅、天皇、來以二髮長比賣一賜二其御子。館レ賜寔隅、天皇、聞二│看豐明一之日、於二髮長比賣一令レ握二大御酒柏、賜二其太子。爾、御歌曰、 伊邪古杼母 怒豐流綾美邇 比流綾美邇 和賀由久美知能 聟具波斯 波那多知婆那波 本綾延波 登理韋賀良斯 斯豆延波 比登登理賀良斯 美綾具理能 那聟綾延能 本綾毛理 阿聟良袁登賣袁 伊邪佐佐婆 余良斯那 又、御歌曰、 美豆多揺流 余佐美能伊氣能 韋具比宇知賀 佐斯豆流斯良邇 奴那波久理 波閉豆久斯良邇 和賀許許呂志敍 伊夜袁許邇斯弖 伊揺敍久夜斯岐 如レ此歌而賜也。故、被レ賜二其孃子一之後、太子歌曰、 美知能斯理 古波陀袁登賣袁 聟砲能碁登 岐許延斯聟杼母 阿比揺久良揺久 又、歌曰、 美知能斯理 古波陀袁登賣波 阿良蘇波受 泥斯久袁斯敍母 宇流波志美意母布
読み下し文
天皇、日向国の諸県の君の女、名は髪長比売、其の顔容麗美しと聞し看して、使ひたまはむとして、喚上げたまひし時に、其の太子大雀命、其の嬢子の難波津に泊てたるを見たまひて、其の姿容の端正しきを感でたまひて、即ち建内宿斑大臣に誂へ告りたまひけらく、「是の日向より喚上げたまへる髪長比売をば、天皇の大御所に請ひ白して、吾に賜らしめよ。」と、のりたまひき。爾、建内宿斑大臣、大命を請ひまつりしかば、天皇、即ちに髪長比売を其の御子に賜ひき。賜へる状は、天皇、豊明を聞し看す日、髪長比売に大御酒の柏を握らしめ、其の太子に賜ひき。爾に、御歌曰みしたまひけらく、 (四四) いざ子ども 奴豐流摘みに 比流摘みに わが行く道の 香はし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 人取り枯らし 三栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら少女を いざささば よらしな 又、御歌曰みしたまひけらく、  (四五) みづたまる 依網の池の 堰杙打が 刺しける知らに わが心しぞ いや痴にして 今ぞ悔しき かく歌はして賜ひき。故、其の嬢子を賜りて後に、太子、歌曰ひたまひけらく、 (四六) 道の後 古波陀少女を 雷の如 聞えしかども 相枕纏く 又、歌曰ひたまひけらく、 (四七) 道の後 古波陀少女は 争はず 寝しくをしぞも 愛しみ思ふ
丸山解説
〔跳縣君〕もろがたのきみ。記伝が「むらがた」と訓じているのは、和名抄が訛って「牟良加多」と訓じているのに惑わされたのである。日向の「もろのあがた」の首長。この「諸県」は日向国の旧郡名であったが、明治十七年、東・西・南・北の四郡に分け、鹿児島県に属せしめた。ここには、この首長の名をしるしていないが、紀には「諸県君牛諸井」とあり、記の下文にも名がある。〔難波津〕なにはづ。今の大阪港。〔端正〕きらきらし。端正で美しい。端麗である。神代紀、下、一書に「豊玉姫、聞二其児端正、云々。」とある。底本の訓「よき」には従わぬ。〔豐明〕とよのあかり。「とよ」は美称。「あかり」は、酒を飲んで、顔の赤らむ意。宴会。特に、宮中の饗宴。ここは、それ。〔聞看〕きこしめす。意は明らかである。真本等は「看」を「者」に誤る。この辺、真本は誤写に満ちているが、くだくだしいから、いちいちあげぬ。
田中孝顕 注釈

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