以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。

古事記の中を検索する

丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 神武天皇 】

原 文
自二其地一幸行、到二竄坂大室一之時、生レ尾土雲【訓云二具毛。】八十建、在二其室、待伊那流。【此三字、以レ音。】故爾、天突御子之命以、饗二│賜八十建。於レ是、宛二八十建、設二八十膳夫、譌レ人佩レ刀、誨二其膳夫等一曰、聞レ歌之隅、一時共斬。故、明レ將レ打二其土雲一之歌曰、 意佐加能 意富牟廬夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美綾美綾斯 久米能古賀 久夫綾綾伊 伊斯綾綾伊母知 宇知弖斯夜揺牟 美綾美綾斯 久米能古良賀 久夫綾綾伊 伊斯綾綾伊母知 伊揺宇多婆余良斯 如レ此歌而、拔レ刀、一時打殺也。
読み下し文
其地より幸行でまして、忍坂の大室に到りませる時に、尾の生えたる土雲【雲を訓みてグモと云ふ。】八十建、其の室に在りて、待ち伊那流。【此の三字、音を以ふ。】故爾に、天つ神の御子の命以ちて、八十建に饗を賜ひき。是に、八十建に宛てて、八十膳夫を設け、人毎に刀を佩かせて、其の膳夫等に誨へて曰りたまひしく、「歌を聞かば、、一時共に斬れ。」と、のりたまひき。故、其の土雲を打たむとすることを明かせる歌に曰りたまひしく、 (一一) 忍坂の 大室屋に 人さはに 来入り居り 人さはに 入り居りとも みつみつし 久米の子が くぶつつい いしつつい持ち 撃ちてしやまむ みつみつし 久米の子らが くぶつつい いしつつい持ち 今撃たばよらし かく歌ひて、刀を抜き、一時に打ち殺しけり。
丸山解説
〔竄坂〕「おさか」は「おしさか」の略。奈良県桜井市忍坂の古称。〔大室〕大きな岩窟。土蜘蛛の住所。〔土雲〕土蜘蛛。「くも」は「こもり」。土の中にこもり住む人の意。「くず」に同じ。「さへき」とも称する。〔八十建〕多くの夷族の首長。〔待伊那流〕待ち吼るか。〔佐波爾〕さはに。多く。〔美綾美綾斯〕「御稜威御稜威し」の約であろう。皇軍の武勇なる意をもって「久米」に冠する枕詞。「くめ」は「組」であり、部隊である。既述。真淵の冠辞考は「瑞瑞し」と訓じ、「若くて美しい」意に解しているが、いま、前述の意に解しておく。"3×3=9"などの説は、ふざけすぎている。この説を「最も適当である」などと肯定する研究書もある。〔久夫綾綾伊〕「くぶつつ」は「かぶつつ」の転。既出。「い」は、ここでは格助詞「を」。〔伊斯綾綾伊〕「いし」は「石」ではなく、「いかめし」の約。「いしつ鍛」で、いかめしく鍛えた太刀。すでに、このころは石器時代を過ぎている。「い」は前項と同じく助詞「を」である。〔余良斯〕よろしい。
田中孝顕 注釈

Page Top▲

このページはフレーム構成になっています。
左側にメニューが表示されていない方は、下記URLをクリックしてください。
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/