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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 允恭天皇 】

原 文
其太子、被レ捕、歌曰、 阿揺陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜揺能 波斗能 斯多那岐爾那久 樸、歌曰、 阿揺陀牟 加流袁登賣 志多多爾母 余理泥弖登富禮 加流袁登賣杼母 故、其輕太子隅、流レ於二伊余湯一也。亦將レ流之時、歌曰、 阿揺登夫 登理母綾加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥 此三歌隅、天田振也。樸、歌曰、 意富岐美袁 斯揺爾波夫良婆 布那阿揺理 伊賀巫理許牟敍 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀綾揺波揺由米 此歌隅、夷振之片下也。其衣艷王、獻レ歌。其歌曰、 那綾久佐能 阿比泥能波揺能 加岐賀比爾 阿斯布揺須那 阿加斯弖杼富禮 故、後亦、不レ堪二戀慕一而、膊往時、歌曰、 岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜揺多豆能 牟加閉袁由加牟 揺綾爾波揺多士。【此云二山多豆一隅、是今芟木隅也。】 故、膊到之時、待懷而、歌曰、 許母理久能 波綾世能夜揺能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆揺阿波禮 綾久由美能 許夜流許夜理毛 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆揺阿波禮 樸、歌曰、 許母理久能 波綾勢能賀波能 賀美綾勢爾 伊久比袁宇知 斯毛綾勢爾 揺久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 揺多比爾波 揺久揺袁加氣 揺多揺那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布綾揺 阿理登 伊波婆許曾爾 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米 如レ此歌、即共自死。故、此二歌隅、讀歌也。
読み下し文
其の太子、捕らはえて、歌曰ひたまひけらく、 (八三) 天回む 軽の少女 甚泣かば 人知りぬべし 羽狭の山の 鳩の した泣きに泣く 樸、歌曰ひたまひけらく、 (八四) 天回む 軽少女 したたにも 寄り寝て通れ 軽少女ども 故、其の軽太子をば、伊余の湯に流しまつりき。亦、流さえむとせし時に、歌曰ひたまひけらく、 (八五) 天飛ぶ 鳥も使ひぞ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね 此の三つの歌は、天田振なり。樸、歌曰ひたまひけらく、 (八六) 大王を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ 此の歌は、夷振の片下なり。其の衣通王、歌を献りけり。其の歌に曰ひけらく、 (八七) 夏草の 相寝の浜の 蠣貝に 足踏ますな 開かして通れ 故、後に亦、恋ひ慕ひ堪へずて、追ひ往きます時に、歌曰ひたまひけらく、 (八八) 君が往き 日長くなりぬ 山接骨の 迎へを往かむ 待つには待たじ【ここに山多豆と云ふは、すなはち今の造木なり。】 故、追ひ到りませる時に、待ち懐ねて、歌曰ひたまひけらく、 (八九) こもりくの 泊瀬の山の 大丘には 旗張りたて さ丘丘には 旗張りたて 大丘にし 汝が定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥る臥りも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ 樸、歌曰ひたまひけらく、 (九〇) こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に ま杙を打ち 斎杙には 鏡をかけ ま杙には ま珠をかけ ま珠如す 吾が思ふ妹 鏡如す 吾が思ふ妻 ありと 言はばこそに 家にも往かめ 故郷をも偲ばめ かく歌ひて、即て共に自ら死りたまひき。故、此の二つの歌は読歌なり。
丸山解説
〔阿揺陀牟〕枕詞。この「陀」は漢音で「タ」と読む。記伝の訓「ダ」は非。上にも述べてある。「天回む」意で、天を回翔することから「雁」の類音「軽」に冠する。延本は「アマタム」と正しく訓じている。「たむ」には四段の語と下二段の語とがあるが、ここは四段。万一の五八「漕ぎ多味行きし棚無し小舟」など参照。「牟」を諸本「手」に作る。いま、真本・延本・底本に従う。〔加流乃袁登賣〕大和国の軽地方の少女。必ずしも軽大郎女だけのことではない。〔伊多那加婆〕甚泣かば。ひどく泣けば。
田中孝顕 注釈

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