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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 仁徳天皇 】

原 文
樸、鑑二秦人、作二茨田堤及茨田三宅、樸、作二丸邇池・依網池、樸、掘二難波之堀江而、艷レ恭、 樸、掘二小橋江、又、定二豈江之津。
読み下し文
樸、秦人を鑑てて、茨田の堤及茨田の三宅を作りたまひ、樸、丸邇の池・依網の池を作りたまひ、樸、難波の堀江を掘りて、海に通し、樸、小橋の江を掘り、樸、墨の江の津を定めたまひき。
丸山解説
〔樸〕また。真本は「刃」に誤る。〔鑑〕えだつ。「役」の古宇。下二段、他動。夫役に当てる。つかう。〔秦人〕はたびと。「はだびと」は非。既出。〔茨田堤〕まむたのつつみ。和名抄は「万牟多」と訓じている。今の河内国(大阪府)北河内郡の一部。 その地の堤、すなわち堤防。今の大阪府枚方市から大阪市の野田に至る、淀川左岸の堤防で、後世、京都街道は、この堤の上を通った。〔茨田三宅〕まむたのみやけ。「三宅」は「屯倉」。既出。〔丸邇池〕わにのいけ。紀は「和珥池」に作る。仁徳紀十三年十月に「造二和珥池。」とあり、推古紀二十一年十一月にも「作二掖上池・畝傍池・和珥池。」とあるが、この方は修築されたのであろう。大和国の和珥の地に作ったこと論なく、今の奈良県添上郡池田村の池であり、今、「光台寺池」と呼ぶ。
田中孝顕 注釈

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