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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 清寧天皇 】

原 文
爾、山部苣小楯、任二針間國之宰一時、到二其國之人民、名志自牟之新室一樂。於レ是、盛樂、酒酣、以二筱第一皆蛹。故、燒火少子二口、居二竈傍、令レ蛹二其少子等。爾、其一少子、曰二汝兄先蛹、其兄亦曰二汝弟先蛹、如レ此相讓之時、其會人等、恁二其相讓之寔。爾、蒹兄蛹訖、筱弟將レ蛹時、爲レ詠曰、物部之我夫子之取佩於二大刀之手上、丹畫著、其茆隅裁二赤幡、立二赤幡、見隅五十隱、山三尾之竹矣本訶岐【此二字、以レ音。】苅、末押靡魚簀、如レ調二八絃琴、館レ治二│賜天下一伊邪本和氣天皇之御子市邊之押齒王之奴末。爾來、小楯苣、聞驚而、自レ床墮轉而、膊二│出其室人等、其二柱王子、坐二左右膝上、泣悲而集二人民、作二假宮、坐二│置其假宮一而、貢二│上驛使。於レ是、其姨礦豐王、聞歡而、令レ上レ於レ宮。
読み下し文
爾に、山部連小楯、針間国の宰に任けらえし時に、其の国の人民、名は志自牟の新室に到りて楽せりき。ここに、盛りに楽げて、酒酣なるとき、次第の以に皆蛹ひけり。故、焼火の少子二口、竈の傍に居たるを、其の少子等に蛹はしむ。爾に、其の一の少子、「汝兄先づ蛹へ。」と曰へば、其の兄も、「汝弟先づ蛹へ。」と曰ひ、かく相譲れる時に、其の会へる人等、其の相譲らふ状を咲ひけり。爾、遂に兄まづ蛹ひ訖りて、次に弟と蛹はむとする時に、詠為て曰ひけらく、「物部の我が夫子が取り佩ける太刀の手上に、丹画き着け、其の緒には赤幡を裁ち、赤幡を立てて、見ゆれば五十隠る、山の三尾の竹を本訶岐【この三字、音を以ふ。】苅り、末押し靡かす魚簀、八絃の琴を調ぶる如、天の下を治しめし賜へる伊邪本和気天皇の御子市辺之押歯王の奴末。」と、のりたまへり。爾即、小楯連、聞き驚きて、床より堕ち転びて、其の室なる人等を追ひ出だし、其の二柱の王子を、左右の膝の上に坐せまつりて、泣き悲しみて、人民を集へて、仮宮を作らしめ、其の仮宮に坐せ置きまつりて、駅使を貢上れり。ここに、其の姨飯豊王、聞き歓ばして、宮に上らしめたまひき。
丸山解説
〔山部苣小楯〕やまべのむらじをだて。底本の訓「をたて」には従わぬ。中巻、応神天皇の段の歌謡に「袁陀弖」、下巻、仁徳天皇の段の歌謡にも「袁陀弖」とあり、すべて「小楯」の意である。ここは人の名であるが、連濁で「をだて」と訓ずべきである。播磨の国司伊与来目部小楯が、顕宗・仁賢二帝を世にあらわし奉った功によって連の姓を賜わったのであって、ここに「連」というのは、のちの姓を称したのである。すなわち、顕宗天皇によって、山官となり、山守部の首長となる。顕宗紀元年四月に「乃拝二山官、改賜二姓山部連氏。」とある。
田中孝顕 注釈

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