やまと言葉がクレオールタミル語であることの論証

古典研究サイト 埋れ木

学業成績の悪かったことの不思議(笑うしかないことなど)

2009-07-27

学生時代、勉強をしなかったことが悔やまれる。高校から大学へはエレベータ入学だから、入学試験などもしたことがない。
というわけで、私は小学校から高校なで、成績はクラスで下から3番前後が常であった。地図が好きで、今でも世界地図は目をつむっても描けるが、そんなものは試験に出ない。

一体、何なんだったのだろうと今でも思う。何で成績があまりにも悪かったのか。
私は子供の時より本好きであった。しかし、この本好きというのは、当時から意識していたが、ビブリオマニア(愛書狂)なのであった。ビブリオマニアは書籍を好むが、読書まで好むものではない。

私の小学生時代、3月になると、毎日のように次の学年の教科書を買いに行くのが何よりの楽しみであった。校門の斜め前にある若宮堂という文具店がその売り場である。

私は毎年、3月になると、今か今かと店頭に新しい教科書が売りに出されるのを待った。そして、教科書が並ぶと、私にとってはまさに至福の時である。教科書の表紙漏れるシンナーのような臭い、バラパラと教科書をめくったときはインクの真新しい臭いが私を幸せにした。

いや、それでも私は、一応、教科書の内容は制覇するつもりはあったのだ。だがいざ新学期が始まると、実に見事に、つまり目前でみるように、やる気が失せていくのが分かった。

教科書に皺が入り、手垢も付く。そればかりではない。教師の言っていることが面白くも何ともなかった(当たり前だ、というのは今でも間違っていると思う。教師の<語り>は面白くなければならない。将棋の駒運びの楽しみ、つまり論理の楽しみを聞き手に知らしめなければならない。

…などと今更言っても仕方ないうえに、あまり説得力もない。というのも、(なぜか)成績のいい仲間もいて、四年生前期までは男女拮抗していたが、それ以降は好成績者は男子が圧倒的であった。阿部君、金安君、舟久保君、村上君などと今でもすらすら出てくるほどだ。私の場合、一年生から六年生までクラス替えはなかった。続

Page Top▲